醤油・ヤマロク醤油                                                                  樋口直哉


醤油づくりが盛んな小豆島。狭い場所にこれほど多くの醤油蔵が密集している地域は全国的にも珍しい。

 

なぜ、小豆島で醤油づくりが盛んになったのか。

もともと小豆島では製塩業が盛んだった。やがて、農地が少なく米穀の自給自足は不可能という環境から、九州から移入した大豆や小麦を、塩で加工し売るようになる。そうした加工品が小豆島名産として知られる素麺や醤油、そして醤油を使った佃煮だ。

また、かつて運送の主力が船だった時代、小豆島は海の道の要所。小豆島の醤油は大消費地である京都や大坂に運ばれ、江戸時代末期には広く知られるようになったという。また、雨が少ない小豆島の気候が醤油づくりに適していた、という理由もある。

 

醤油は日本の食文化の根幹を支える食材。しかし、全国に1400軒ほどある醤油蔵のうちに原料から自前で仕込んでいる蔵は少なく、さらに昔ながらの木桶で仕込んでいる醤油蔵となるとさらに限られる。木桶でつくられた醤油は現在ではなんとわずか1%、その3分の1を小豆島が占めるというから驚きだ。

ヤマロク醤油はそんな小豆島で同業者からも一目置かれる醤油蔵である。

「うちはもともと諸味屋。ある意味、醤油屋の下請けだったんです。戦前、醤油屋は儲かってたんですよ。戦後、昭和二十五年にうちの祖父が「諸味を絞って醤油にしたほうが儲かるぞ」と気づいて醤油屋に転業しました。ですが、気づいたときには遅かった(笑)。戦後、醤油の値段が下がったので、儲かったのは数年だけと聞いてます。戦前、醤油1升瓶の値段は男性の散髪代と同じだったそうです。今の感覚で言えば3800円くらいですか。今だと1升500円~600円ですからね」

 

戦後、食糧の安定供給が課題だった時代に醤油は大量生産の波に呑み込まれ、価格はどんどん下がっていった。1963年には「中小企業近代化促進法」が制定され、協業化が進む。多くの醤油蔵が生揚げ醤油((もろみが入った状態の生醤油))を仕入れ、火入れと瓶詰めをして売るという形に変わっていき、不効率な木桶も使われなくなっていった。

「タンクを買うお金がなかったんですよ。協業化しなかったのも出資金がなかったから。しかたなしの木桶でつくっていたんです。昔はうちも混合醤油を作って、広島とか岡山に出していました」

ヤマロク醤油の商品構成は珍しい。基本的には4年~4年半かけてつくられる「鶴醤」という再仕込み醤油と黒大豆を使った濃口醤油の「菊醤」の2種類。後は無添加のポン酢やだし醤油だけと極端に種類が少ない。

 「鶴と菊の2種類っておかしいでしょう。普通は鶴ときたら亀だし、松竹梅があって次に菊でしょう。色々あったんですけど面倒くさかったので自分が全部やめたんですよ(笑)。鶴醤は配合比の原価を上げたり、熟成期間を長くしたり……今の味にするまで6年かかりました」

 

五代目山本康夫氏ははじめ家業を継ぐ予定はなかったという。大学を出て、家業に入ろうとしたところ父親に「継がなくていい」と止められたという。「醤油屋は儲からないし、給料も払えないから」と。

食に関わる仕事がしたかった康夫氏は地元の佃煮メーカーに就職し、大阪や東京で働いた。取引先は大手のスーパーだ。

 「スーパーで商談すると商品知識のないバイヤーが値段とボリュームとパッケージデザインの話しかしない。うちも無添加の商品も持っていったけど『高い』しか言われないわけです。このバイヤーに売りに行くのは嫌やなって思ったんです」

売りに行くのではなく、買いに来てもらうほうがいい。木桶の醤油ならそんな商品になるのでは、と思い至った康夫氏は家業に入る。ところが決算書を見て、青ざめた。

 「とんでもなかったですよ。親父が継がんでいいって言った意味がようわかりました」

そうしているうちに父親が倒れ、醤油づくりが続けられなくなった。状況は最悪だった。一人で仕込むのだからと商品を整理し、鶴醤と菊醤に絞り注力できる体制をつくった。

 

「親戚にタクシー会社をやっている人がいて。親父が一人でやっている時、その人から観光客の方が三日もすると見る場所がなくなるので『醤油蔵見せて』って頼まれたんです。見学していただくとみなさん驚かれて、喜ぶんですよ」

予約なしでも見学を受け入れるようになったのはそれからだ。それ以来、年中無休。口コミで増えていった見学者にDMを送り、直売の比率を増やした。テレビ番組にも紹介され、売上は少しずつ伸びていった。

 「大変で死ぬかと思いましたけどね。売上が伸びて、空いた桶に醤油を仕込む。すると在庫が増えるわけです。税金を払わなあかんけど金がない、みたいな状況が長く続きました」

「というよりも木桶でつくったほうがおいしいんです。これは科学的根拠がある話ではない。結局、醤油の旨味成分は全窒素量で計ることができます。けれども、タンクと木桶ではそれほど変わらないですよ。ただ、味を比べると明らかに違います」

 

「かかってます。単純にざっと計算すると大手さんよりも原材料原価が7~8倍。熟成期間は16倍違います。大手さんは今、小さなパックで200ml250円くらいで売ってますけど、鶴醤は500ml1000円なので、倍しないくらいの価格。儲からないでしょ。うちは手間をかけた高級醤油の安売りメーカーなんですよ(笑)」

康夫氏は冗談っぽく言うが、目は笑ってなかった。鶴醤の旨味(と菊醤の香りの良さ)は群を抜いている。その味をつくっているのは百年以上前に建てられ、国の登録有形文化財に指定された蔵の土壁や木桶に棲む無数の菌だ。桶の木肌に付着した菌、微生物の相互関係や生成する物質などが複雑に絡み合って醤油の味を作り出す。その肝となる木桶に危機が迫っていることを知ったのは2009年のことだ。

「売上が徐々に伸びてきて、桶が足りなくなってきましまた。清酒や味噌、醤油などを製造するための30石(約5400リットル)の桶を製造できる工場は大阪の堺に一社しかないんです。このままだったら桶がなくなる、と思って2009年に借金して新桶を9本頼んだんです。そしたら言われたのが『醤油屋さんから新桶の注文が来たのは戦後初や』と」

 

100年前の大正6年には堺に47軒あった桶樽の業者も、今では藤井製桶所ただ1軒。桶の寿命は長く、100年から150年ともいわれる。最近でこそ再び脚光を浴びはじめた木桶だが、買い替え需要はなく、あるのは修繕と組み直しがほとんど。納品した桶の面倒を見るだけでは仕事にはならないのだ。

 「3本ずつ蔵に運んだんですけど、3本はつくったばかりだから見たことある。次に6本並んだら『はじめて新桶が6本並ぶところを見た』って言わはって。次、9本並んだら写真に撮りながら『もう死んでもええなぁ』って(笑)。そのくらい新桶はつくらないんです。その後、言われたのが『いつまでできるからわからんで』って」

 

現在、藤井製桶所は2020年に店じまいする、と公表している。木桶は醤油づくりの生命線だ。このままでは桶の修繕もできなくなる。危機感を持った康夫氏は大胆な行動に出る。知り合いの大工とともに桶屋に弟子入りし、自ら桶製造に乗り出したのだ。できるかどうかよりもまず行動だった。

 「こうなったら自分でつくるしかない。3年分の借金を返済し、返済した分をもう一度借りる形で2012年にもう3本発注しました。その時は1つ1つ工程を止めてもらって、構造から学ばせてもらったんです」

小豆島に戻った康夫氏は新桶作りに取り掛かる。桶の大きさは横幅1.85m、高さ2.0mと巨大。仲間たちと竹を探し、正確に木を切り出すところからはじめた。大工仕事では引いて削る鉋も、桶づくりでは押して切るなど勝手が違った。竹のタガをかけるのも一苦労な上、そもそも材料の竹の入手が困難だ。それでも木桶文化を捨てる、という選択肢はなかった。

 

そうしてついに小豆島生まれの新桶ができたのは2013年の9月のことだ。

「『いろんなところに声をかけたけど、真に受けて修行に来たのはお前だけだ』って言われました。結局、誰もやらない。でも、誰かがやらないと技術はなくなる。2020年に桶屋が廃業した時に技術継承がされてないと、その時は大丈夫でもカウントダウンがはじまる。醤油だと50年~100年のあいだに木桶が使えなくなります。味噌はもう少し前になくなる。わたしが死んだ後、和食の基礎調味料がなくなるわけです。そしたらどうなるか。例えば墓場に入った後、孫とかひ孫に言われますよ。『あの爺さんの代で桶屋がなくなったから醤油屋ができない』って」

「ないです。新桶に投資してますけど利益は生んでませんから。というのも桶1本分の値段は乗用車1台分のコストがかかる。うちの醤油の作り方で減価償却するのにどれくらいかかるか、計算したんですよ。そしたら90年から100年かかるんですよ。何年ではなく、何代です。これは無理や、と」

 

知恵を絞り、鶴醤をつくるための原料である濃口醤油を「新桶初搾り」という形で桶代を原価にのせて売ることにした。それでも会計上の償却期間である10年償却できるものではない。

 「償却できる、できないの問題ではないんです。そうするよりしかたないです。わたしがこうして醤油をつくれているのはご先祖がいい桶をつくってくれたおかげなんですから」

和食がユネスコの無形文化遺産に登録された時、世の中は祝祭ムードに包まれた。しかし、文化遺産に登録されるということは、それが保存しなければいけないほどの状況に陥っているということなのだ。木桶プロジェクトは無形文化遺産になった和食の根幹を支える試みだ。

 「樽桶は江戸の初期にできました。他の国には木桶はありません。ヨーロッパのウイスキーなんかも樽からつくられていますが、大型化できたのは日本だけなんですよ。日本の杉と竹を使って大型化する技術を日本人は編み出した。そんな日本人が世界で一番最初に木桶を捨ててるんです」

 

日本人は目先の利益を追い求めるあまり、昔からあった長期的な視点を失ったのではないか、と康夫氏は言う。

「ただね」と康夫氏は続ける。「木桶の醤油は今、1%ですが、その需要を取り合うよりも2%にするほうが楽やでって言っているんですよ。海外から和食が注目されるなか木桶の醤油の需要は高まっている。日本の人口が減っても海外。地元だけで消費されていた醤油の市場が広がるわけです。醤油業界は低迷してましたけど今は成長のサイクルに入ったばっかりなんですよ。ここは手を組んで、頑張っていきたい。今年、自分たちがつくった新桶で仕込んだ醤油を絞りました。そしたら、うますぎるくらいのすごい醤油ができてしまったんですよ。やっぱり自分たちがつくった桶だから気持ちに応えてくれたんちゃうかな」

 

木桶職人復活プロジェクトの反響は大きく、木桶が蔵を超えたつながりを生んだ。菌や微生物、人の想いといった目には見えない存在が醤油の味を作り出す。木桶を通じて醤油蔵は味というバトンを未来へと繋げていく。

 

ヤマロク醤油 鶴醬 500ml 一般的に高級醤油は食塩水に大豆と小麦で造った麹を仕込み、一年以上管理して出来た諸味を搾って造られます。「鶴醤」はこの高級醤油の中へ再度、大豆と小麦で造った麹を仕込み造りました。約二倍の原料と歳月をかけたとても濃厚な醤油です。
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ヤマロク醤油 菊醤 500ml  国内産丹波黒豆と讃岐産小麦、食塩は天日塩70%・ミネラル塩30%を三十二石大杉樽に仕込みました。丹波黒豆のでんぷん質の多さを生かし、高貴な香り・端麗な色の醤油が出来上がりました。
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丸島醤油 純正醤油 濃口 1.8L 原材料:大豆(遺伝子組換えでない)、小麦、食塩 醤油作りに最適な気候・風土に恵まれた小豆島で、丸島醤油は本物の味、手づくりの味にこだわり続けております。丸大豆、丸小麦を使用し、温暖な気候風土の小豆島でじっくり熟成したコクのある味です。
丸島醤油 純正醤油 濃口 1.8L 原材料:大豆(遺伝子組換えでない)、小麦、食塩 醤油作りに最適な気候・風土に恵まれた小豆島で、丸島醤油は本物の味、手づくりの味にこだわり続けております。丸大豆、丸小麦を使用し、温暖な気候風土の小豆島でじっくり熟成したコクのある味です。
チョーコー 超特選うすむらさき(生) 1L ペット 原材料:大豆(遺伝子組換えでない)(カナダ、アメリカ)、小麦(カナダ)、食塩、米 厳選した原料を使い、しっかり発酵・熟成させた、本醸造のJAS規格特級(超特選)の丸大豆うすくち醤油です。丸大豆特有のほのかな甘味を醸し出してます。熱処理をしていない生(なま)醤油ですので酵素が消化の働きを助け、魚や肉の臭いをとり、やわらかく仕上げます。
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          たきがみ博士の想い

 

誰でも、自分の中に伝統がある。自分が経験したすべての過去の累積、それが”いま”のわたし。

過去とは思いだすこと、現在(いま)は過去の必然、そして、未来は想い、選択すること。

いまは、変えられない。

しかし、人には明日があり、未来がある。明日は、こうありたいと想いを持つことができる。

 

すてきな明日に向かって、”これからへの想い”を具体化するJourney、しっかり楽しみたいと思います。

そして、”いま、ここ”を丁寧に活きる。

みずからの人生の軌跡を、すてきな笑顔でみつめるために。

 

旬(ときめき)亭 亭主 たきがみ博士
  たきがみ博士


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☆他人に期待すれば不満になり、

  自分を信頼すれば自信になる 

☆人間関係とは、他人を通して自分自身

  との付き合い方を学ぶ機会なり 

☆自分の短所を受け入れるとき、

  自分らしさという魅力が生まれる 

☆最も空しい人生とは、

  すべてが思い通りになる人生である 

☆幸せは得るものではなく、気付くもの


☆樹木は、上に伸びる前に下に伸びる 

☆他人との対立は、

  自分の心の中の対立に過ぎない 

☆幸せだから感謝するのではなく、

  感謝するから幸せを感じる 

☆孤独を知らなければ、

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  失うことがない


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