身土不二とは、平たくいうと、「身体(身)と環境(土)はバラバラではありませんよ(不二)」という意味です。
身体は、食べ物を含め、さまざまなものを環境から取り入れています。空気、光、音、熱、湿気などなど…。
そんなものだって、どこまでが環境で、どこからが自分なのか、よく考えるとわからなくなってしまいますよね。
それほど、環境と身体は密接な関係にあります。ですから、適切な取り入れ方をしなければ、身体は環境に適応することができません。
では、環境から適切に食べ物を取り入れるには、どうしたらよいのでしょうか。
人がその場の環境になじむには、その土地柄、その季節に合った食べ物をとることが大切です。
その土地でとれたもの(日本の場合、国産品であればほぼ問題ないでしょう)、その季節に自然にとれるものを中心に食べれば、暮らしている場所の気候・風土に適応し、季節の変化についていくことができます。
たとえば熱帯の作物や夏の野菜は、人間が暑さに対応しやすいような、身体を冷やし、ゆるめる働きのある成分が多く、今さらながら、自然はうまくできていると思わざるを得ません。
反対に、寒い冬に、熱帯産のバナナやパイナップルを食べたり、夏にとれるトマトやキュウリを食べたりすれば、身体は冷えて、具合が悪くなってしまいます。
物事を分断・分析していく近代科学に対する反省として、「全体は部分の総和ではない」ということがいわれるようになりました。
つまり「全体」は、「全体」としてあるとき、部分の総和を上回る特別な働きをするのです。
食べ物についても、同じことがいえるはずです。
一物全体とは、「一つのものを丸ごと食べる」という意味です。
一つのまとまりのあるもの(種子、実、葉、根など)は、いろいろな面でバランスがとれている上に、まとまっていることによる、何か特別の働きが期待できます。
特に種子や実は、そのまま次の世代を生み出せるほどですから、バランスのよい、生命力に満ちた食べ物といえるでしょう。
ミクロな観点から見ても、穀物の皮や胚、野菜の皮には、それ以外のところには入っていないビタミンやミネラルが含まれています。
また皮や芯など堅い部分は、以前は消化に悪い、栄養があまりないとされていましたが、近年になって、食物繊維(ダイエタリー・ファイバー)が豊富なため、腸の健康に役立つことがわかってきました。
きっといろいろな食べ物の「全体」は、栄養学でもまだわからない、タメになる働きをしてくれているに違いありません。
そういうわけで、なるべく何でも丸ごと食べたほうがいいと考えられます。
といっても、米ならモミごと食べろといっているわけではなくて、現実的に可能な範囲で、玄米や胚芽米で食べましょうということです。
穀物は、できるかぎり精白しないほうがいいでしょう。
葉菜なら芯や根っこも工夫して食べるようにしたいし、根菜はよく洗い、皮をむかずに調理しましょう。
葉つきの根菜が手に入るときは、葉も無駄にしないようにしたいもの。
保存をするときにも、なるべく皮つき・根つき・(根菜なら)葉つきの、「全体」に近い形のほうが持ちがいいことはお気づきですよね。
魚なども、小さなものは丸ごと食べてしまいましょう。
逆にいえば、丸ごと食べられない大きな動物や魚は、あまりたくさん食べないほうがいいということになります。
昔の人が丈夫だったのはきっと、この身土不二と一物全体の原則が自然に守られていたからでしょう。
あらゆるものが氾濫する中で、今の私たちは、ほんの少し頭を使わなければ「自然な暮らし」ができなくなってしまいました。
でも、原則をつかんでしまえば、そんなに難しいことではありません。