大自然のリズムに学び、自他を、内と外をぶつぶつに切り離す二元性の思考から、すべてがひとつながりであるという一元性のものの見方、感じ方に移行する必要がありました。
自然治癒に至るには、自らと対峙し、病の原因となったものを心からも体からも探る必要がありました。
多くの方が言われる通り、不要な組織を作ったのは私なのですから、「消す」ことを目指す前にまず、病的な組織を「作り続ける」ことをやめる必要がありました。
また、大自然のリズムに学び、自他を、内と外をぶつぶつに切り離す二元性の思考から、すべてがひとつながりであるという一元性のものの見方、感じ方に移行する必要がありました。
世界を、すべてを正と悪(間違い)、白と黒、敵と味方で二分する考え方を改める必要もありました。「悪いもの」と裁きながら、徹底的に排除しようとする浅い考えは、心のなかの深いところで、自分や親を許すことが出来ない心、裁く心、憎む心や復讐しようとする心、また、そのような心を抱いていることに対する自覚されることのない罪悪感や、それに伴う贖罪の意識と簡単に結び付いてしまうのだということ。そのような心で行う療法や健康法は、動機がずれてしまっているがゆえに、行えば行うほど、逆に自分傷付け、病を悪化させることもあるのだと知りました。
筋腫のお陰で、どれほど沢山のことを学んだことかわかりません。物の見方、考え方、感じ方を、どれほど広げられたことか。感謝しかないです。
頑固で我が強く、幼くわがまま、傲慢であった私は、病にガツンと打たれて頭をぶつけて学ぶ必要がありました。
感謝も知らず、自分を変える努力もせずに、手段や方法で病を治そうとしてきました。それは、自分も病も他人も周囲もみなを、自分の損得や都合でコントロールしようとしていたに過ぎなかったのだと、今ではわかります。
よく、治らずにいてくれた!と、感謝で感謝で拝みたくなります。力任せで、理詰めでコントロールしようとすることしか知らないままでもし治癒が起きていたら、私は、それでいいのだと思い込み、疑いもせず、改善しようとも思わずに生きていったかもしれません。
それを思うと、本当にぞっとさせられるのです。
ここまで5年間歩んできて、幅広いものの見方や知識、考え方の大切さを、身に染みて感じるようになりました。
断片的な知識であってももちろん、大当たりで素晴らしい結果を出すことがあります。そういう方は恐らく、ご自身でもお気付きにならないうちに、ご自身の内なる叡智とつながった状態で一発ヒットを打つように、最高最善の方法を選択されたのだと思います。
しかし、全ての方がそのような、素晴らしい閃きをいつも得られるとも限りません。