<腸の疲れを癒すための眠り>
生命の科学という観点からみると、消化という働きは「食物の総合・発展の条件づけ」なのだ。
食物は、いわゆる消化作用といわれている処理をされることによって、より次元の高い「生命物質」に発展していく。
この生命物質が腸の粘膜にとりこまれて、こんどは赤血球という極めて原始的な細胞につくり変えられる。
この働きは、かつてこの地球上で行われてきた物質から生命への発展史の縮図である。
原始地球時代には、無機質から有機質へ、有機質から蛋白質へ、そしてこの蛋白質の融合によって生きる命が誕生したのだ。
この「物質発展と生命誕生の歴史」が、日々我々の腹の中でくりかえされているとは、なんと驚くべきことか。消化とは、そのようにダイナミックな働きなのである。
我々は何氣なく食物を摂っているけれど、腸ではこんな大事業が行なわれているのだ。
疲労だってそれだけ大きくなる道理であろう。
実際、その疲れを癒すために、われわれは眠るのだ。
ふつう、睡眠は頭脳を休める時間である……と思われているが、本当はそうではない。
頭脳はわれわれの身体の中でも、最もエネルギー消費の少ない臓器組織であるから、8時間も休ませる必要はない。
<眠りと目覚のカラクリ>
睡眠は脳のもっとも重要な機能であるとともに、またもっとも不思議な現象といえる。
古代ギリシャでは、「死の神」の弟が「眠りの神」とされ、眠りと死は、「暗夜に生まれた恐るべき双生児」とみなされた。
眠りは一時的な死であり、死は永遠の眠りというわけである。
この眠りは、一般的にいえば、覚醒時の活動に対応する身体の各部分および脳自身の休息の時期でありそれまでの活動によって消費されたエネルギーが補給・回復される時期ともいえる。
なぜ睡眠という現象が起こるのかということについては、これまで、いろいろな説があげられてきた。
たとえば、「脳の血液循環が悪くなるため」、「脳細胞の樹状突起が縮んでシナプス伝達を阻害するため」、「大脳全体に保護抑制が起こるため」……といった具合だ。
「眠り」や「目覚め」の起こるカラクリについては、最近次第に明らかにされている。
周知のとおり、人間の大脳には、他の動物よりはるかによく発達している新皮質と、それに取り囲まれた旧皮質(辺縁皮質)とがある。
※a1 辺縁皮質とは・・
動物としての本能的な感情に関連して思考する大脳周辺部分。
前者(新皮質)は、思考、創造、情操など高度の精神作用の中枢であり、後者(旧皮質)は、食欲や性欲、怒り、恐れなどの生物体として生きていく上での基本的な機能の中枢である。
だが、辺縁皮質がその命令を直接受け取るのに対して、新皮質は、いったん視床下部から網様体に伝えられ、そこで調整された信号を受け取る。
眠っているときは、副交感神経の支配下に移るため、筋肉の緊張は弱まり、内臓においては、交感神経の活動が弱まり、逆に副交感神経の活動は強くなる。
基礎代謝は下がり、体温は低くなり、心拍、脈拍、血圧も減少する。
皮膚の血管は開いて充血するが、内臓の方は貧血氣味となる。
呼吸は浅くなり、呼吸数も減少する。
尿や涙の分泌も減少し瞳孔も小さくなる。
これが、視床下部から「目覚め」の伝令がくると、元の活動状態にもどる。
目覚めから眠りへ、眠りから目覚めへの移行を、自律神経機能の面からみると、交感神経支配から副交感神経支配へ、副交感神経支配から交感神経支配へということになる。
この二つの神経支配の切り替えがうまく行われれば、眠りも目覚めもスムーズにいくのである。
とくに人間においては、新皮質の活動が盛んになっている状態が本当の目覚めであり、新皮質が活動に満ちた状態にあってこそ、はじめて人間らしい生き方ができるのである。
目は覚めている、といっても、思考力はサッパリというのでは、半分眠っている状態でしかない。
それでは、視床下部はどんなときに「目覚め」、あるいは「眠り」の命令を出すのか。
それは、体液成分の変化によるらしい。
つまり、アセチルコリンやセロトニン、その他の代謝産物がいろいろに作用を及ぼしているらしいというわけだ。
やはり、眠りという現象も、他のいろいろな生理現象と同様、「食物摂取、消化・吸収、血液循環、物質代謝」の一連の機能の中で、必然的に起こってくる現象といえよう。
<眠りと胃腸の休息>
眠りは、身体を休息させるためのものであるが、中でも休息をもっとも必要とするのが胃腸である。
一般には、脳細胞を休ませるために眠ると言われているけれど、脳のエネルギー消費はそれほど大きくはない。
我々が一日中、頭をフルに働かせたとしても、脳が疲労困憊するということは決して起こらない。
これに対して胃腸はいつも全力投球である。
エネルギーの消費は最も大きい。
なぜなら単純な物質(食物)を、より複雑な物質(体蛋白)に合成・発展させるという大事業をおこなっているからだ。
この働きがあるからこそ、我々は、我々の体とはまったく異なったつくりの食物を食べながら生きていられるわけだ。
胃腸は食物を消化液で分解し、単純な分子(アミノ酸、ブドウ糖など)にして吸収する、といった単純な作業をしているだけではないのである。
というわけで胃腸は極度に疲労する。だから、胃腸は十分な休息をとらなければならないし、眠ることも必要となる。
しかし、睡眠中に胃腸の機能が完全にストップしてしまうわけではない。
疲労を癒すとともに、不要なものは排泄する手はずを整え、必要なエネルギーを貯える…というように、1日の活動の後始末をする。
この作業は、他の臓器の活動を中断、あるいは極力弱めた上でおこなわなければならない。
このような生理機能の切り替えは、睡眠によってはじめて可能となる。
そして、胃腸の休息がとれれば、眠り足りた状態となり、自然と目覚めが起こるのである。
あまり空腹だと寝つかれなかったり、食べてすぐ寝ると翌朝目覚めが悪かったりするのも、眠りと胃腸が密接に関係していることを物語っている。
ふつう、腹いっぱいものを食べると、約3時間の睡眠が必要となる。
1日3食で、毎食腹いっぱい食べれば、睡眠は9時間はとらなければならない。
加えて、間食をするようなことになれば、さらに胃腸の負担は大きくなり、その分だけ睡眠時間は加算されることとなる。
また、肉、牛乳、卵などの動蛋食品を多くとると、胃腸の疲労度はますます高まる。
もともと米菜魚食民族である我々日本人の胃腸には、動蛋食品は大きな負担となる。
美食の過食をしている人は、10時間も12時間も眠らなければ、胃腸は十分な休息をとる事ができない。
夜十分に寝ているのに、通勤電車の中や仕事中に居眠りの出る人は、間違いなく食べ過ぎの人だ。
胃腸を酷使していては、正常な眠りは決して得られないものなのである。
胃腸の働きと眠りとの間に、密接な関係があることは、「腹の皮がつっぱれば、目の皮がたるむ」という現象でもわかる。
これには、一時的に胃腸の方へ血液が集まる、また、精神的な満足感が生じる……など、いわゆる睡眠とは異なったいろいろな要素が関係してくる。
いずれにしても、我々の体では、胃腸での食物処理機能が、他の機能より優先的に働く事は確かだ。
だから食事量をぐっと控えれば、食後に眠くなったりせず、すぐ活動に移ることができる。
ムダな時間をなくして、フルに活動したい人は、食事の量を少なくすることが必要だ。
1食抜いて、1日2食にするのが理想的で、そうすれば睡眠は5~6時間で十分となる。
ナルコレプシーという病氣が文明病の一つとして注目されている。
これはつまり、「居眠り人間」、突如として睡魔に襲われて、笑ったり怒ったりすると、力が抜けてヘナヘナと倒れてしまうという大変な病氣だ。
この奇病にとりつかれるのは、決まって、デップリと太っている人である。
また、ピッフウイッタ症候群というのも眠り病で、この患者も脂肪太りで赤ら顔が特徴である。
こうした病氣の人も含めて、とにかく一般に太っている人はよく眠る。
いくら眠ってもまだ眠り足らず、不眠症に悩まされることが多い。
過食で胃腸が疲れ切っている上に、代謝異常によって生み出された老廃物のせいで安眠が妨げられているのである。
<健康な睡眠をとるために>
健康な睡眠をとるためには、食生活の改善とともに、熟睡しやすい環境づくりをすることも大切だ。
作家や夜勤者のように、目覚めと眠りが普通の人と逆転している人もあるが、生理の基本は暗い夜は眠り、太陽の光を受けた昼間は目覚めて活動するのが自然のリズムである。
しかも、午前中に活動のピークをもってくるのが理想的といえる。
なぜならば、我々の体は、午前中とくに午前8時頃が生理的に最良の状態になるからである。
例えば副腎髄質から分泌されるアドレナリンは、精神的・肉体的に外部から受けるあらゆる危険やストレスに対して、生命を守る働きをしているのであるが、このホルモンの分泌量は午前8時にピークに達し、正午から夜にかけて徐々に減少していき、夜中の12時には最低値を示す。
また、神経の緊張を物語る瞳孔の大きさも、午前8時に最高となり、以後は徐々に低下して、午後2時を境にちょっと上昇し、午後8時以後は急速に小さくなっていく。
以上のような生理的原理を念頭において、その規則正しいリズムに極力合せるように自らの日常生活を調整することが必要十分な睡眠を得る秘訣だ。
人間関係から心の葛藤を生じたり、機械文明社会ゆえのストレスを受けることは避けがたい。
つきあいで深夜まで酒を飲んだりすることもある。
また、自ら好んで夜更かしすることもある……。
というわけで、我々の日常は脱線の連続だが、どこかでそれの修復を計っておかないと大変なことになる。
睡眠はそのためのきわめて有効な手段でもある。