厳重食                                      江部康二 / 高雄病院理事長


漱石も食べた100年前の糖質制限食

近現代日本における糖尿病食の歴史【1】

 

今回は日本の糖尿病食の歴史を、約100年前の大正時代にさかのぼって考えてみたいと思います。

意外かもしれませんが、大正時代の最先端の糖尿病食事療法は「厳重食」と呼ばれたスーパー糖質制限食でした。

夏目漱石と糖尿病と厳重食

 

文豪・夏目漱石(1867~1916年)は、糖尿病でした。

「漱石全集」(岩波書店)に収められた漱石の書簡や、鏡子夫人の述懐を記した「漱石の思い出」(文春文庫)などによると、16(大正5)年正月、右の上膊(じょうはく=上腕)神経に強い痛みと右上膊の不全まひが出現しました。

薬、マッサージは効果がなく、同年4月、糖尿病と診断されました。

 

5月から、愛媛県尋常中学(旧松山中学)時代の教え子の医師、真鍋嘉一郎により、当時の最先端治療の「厳重食」を開始しました。

その結果、尿糖は消失し、7月終わりには、右腕の強い痛みと不全まひも改善し、同時に起きていた神経衰弱の症状も減退し、糖尿病も改善したとあります。

しかし11月、胃潰瘍が再発し、12月9日、胃潰瘍に伴う出血で死去しました。

厳重食によって、糖尿病と糖尿病神経障害は著明に改善したのですが、残念ながら胃潰瘍のために亡くなったのです。

 

厳重食=スーパー糖質制限食

38(昭和13)年、43(昭和18)年に刊行された女子栄養大学の栄養学の雑誌から、「厳重食」の解説をみると、まさに「厳重食=スーパー糖質制限食」です。たとえば……

 

「肉類(牛、豚、鶏、魚肉、内臓、心臓、肝臓、舌、膈<かく>、腎臓、骨髄)、貝類、卵類(鶏卵、鳥卵、魚卵)、脂肪類(バター類、豚脂、ヘッド、肝油、オリーブ油、ごま油)、豆類(豆腐、油揚げなど)、味噌(みそ)は少量、野菜(含水炭素5%以下)小松菜、京菜、白菜、筍(たけのこ)、レタス、蕗(ふき)、大根、アスパラ、果実(含水炭素の少ないもの)びわ、すもも、苺(いちご)、いちじく、メロン、パイナップル、パパイヤ、りんご、蜜柑(みかん)、夏みかん…(中略)…※梨、ブドウ、柿、バナナはやや糖質が多いので警戒を要する」

という記載があります。

「含水炭素」とは炭水化物の古い呼称です。

 

日本における糖尿病食事療法の変遷

この雑誌の記事からも分かりますが、1943年ごろの日本ではまだ厳重食のほうが糖尿病食事療法として幅を利かせていたようです。

 

それからずいぶん時間が経ち、日本糖尿病学会のバイブルのような「食品交換表」の初版が65年に発行されました。

 

実はこの「食品交換表」の発行までは、糖尿病患者には各医療機関が独自に食事療法を指導していて、共通テキストはありませんでした。

そこで全国から医師が集まって、東京で何日も討議を重ねて、全国共通の食品交換表が誕生しました。

初版は「医師・栄養士・患者にすぐ役だつ糖尿病治療のための食品交換表」という名称でした。

解説には、食事療法の原則として「(1)適正なカロリー(2)糖質量の制限(3)糖質、たんぱく質、脂質のバランス(4)ビタミンおよびミネラルの適正な補給」と記載されています。

 

これを見て驚きませんか なんと、2番目に「糖質量の制限」と明記してあるのです。

これが、69年発行の第2版になると「(1)適正なカロリー(カロリーの制限)(2)糖質、たんぱく質、脂質のバランス(3)ビタミンおよびミネラルの適正な補給」と変更されて、「糖質量の制限」が削除されています。

糖尿病食事療法の原則から、「糖質制限」が消えて、「カロリーの制限」が登場したのが2版です。

ただし2版の解説文には「糖質の量は一般に普通の人に比べるとかなりの制限になりますが、これは適正なカロリーの範囲内において、たんぱく質、糖質、脂質の適正な補給を行う結果です。

糖質を特別に制限する学者もありますが一日100g以上の糖質をとることは必要です」と記載されています。

「糖質制限」の文言は消えたけれど、まだ香りは残っていますね。

 

次第にエネルギー制限食一辺倒に

当時の糖尿病学会の記録には「糖尿病の食事療法として最も厳格に指示されるのは、一日の総エネルギー量だけである。

たんぱく質、糖質、脂質などの各栄養素は、いずれも最少必要量が指示されるのみ」とあります。

このころ、糖質制限派とエネルギー制限派の論争があって、エネルギー制限派が完全勝利したようです。

総摂取エネルギーを制限しておけば、糖質制限は必要ないという立場ですね。

 

これ以降の食品交換表は78年第3版、80年第4版、83年第4版補、93年第5版、2002年第6版と、エネルギー制限食がどんどん強化されていったようです。

現在の糖質60%、脂質20%、たんぱく質20%という総摂取エネルギーに対する比率は、おそらく米国の86年のガイドラインの影響もあると思われます。

 

そして「糖尿病食事療法のための食品交換表第7版」が、13年、11年ぶりに改訂されました。

変更としては、炭水化物からの摂取エネルギーを、従来は60%のみの配分例が表示されていましたが、今回の改訂で、新たに55%と50%の配分例も示されました。

めぼしい改訂はこれくらいですので、結局、「低カロリー・高糖質食」を3段階に分けただけで、代わり映えしません。

 

一方、13年10月、米国糖尿病学会の「栄養療法に関する声明」では、全ての糖尿病患者に適した“one-size-fits-all(唯一無二の)”食事パターンは存在しないとの見解を表明しました。

これに対して、日本糖尿病学会は、相も変わらず唯一無二の糖尿病食事療法として「カロリー制限・高糖質食」を推奨しています。なかなか、学習されませんね。

 

 

糖質制限食の「凍結と復活」 激論の21世紀

近現代日本における糖尿病食の歴史【2】

 

前回は、大正時代以降、約100年前からの日本における糖尿病食の変遷をお話ししました。

引き続き、今回はより現代に近い時代の動きを詳しく紹介します。

ここ10年の出来事が中心なので、皆さんもさまざまなメディアで見聞きした話が含まれているかもしれません。その実情を当事者である私の視点で解説する試みです。

 

「糖尿病治療ガイド2014-2015」の変化にビックリ

「糖尿病治療ガイド」は日本糖尿病学会が医師やコメディカルスタッフ向けに発行している糖尿病診療のガイドブックです。

1999年に初版が作成されて以来,ほぼ2年おきに改訂され、発行されています。

この中に記載されている(糖尿病患者にとって)「適正なエネルギー摂取量」についての記述は、初版以降ずっと同じ内容だったのですが、「2012-2013」版から現行の「2014-2015」版(2014年5月発行)に変わる際、大きな変化があり、個人的にはびっくりしました。

 

それは「食事療法」という項目の中にあります。

初版から「2012-2013」版までは「適正なエネルギー摂取量」を通常「男性では1400?1800kcal」「女性では1200?1600kcal」と記載していました。

 

それが「2014-2015」版では「男性では1400?2000kcal」「女性では1200?1800kcal」と変更されていたのです。

 

足掛け18年間、一貫して「男性では1400?1800kcal」「女性では1200?1600kcal」でした。

それがいきなり男女とも上限が200kcalずつ増やされていたのです。

これは大きな変化なのですが、学会からはこのことに関する説明が一切ないので、いかなる見解、心境の変化があったのかはわかりません。

 

「糖尿病治療におけるカロリー制限食には、長期的有効性・安全性に関してエビデンスはない」という私たちの批判に対して、200kcal増やして、矛先をかわしたのかと言うと勘ぐりすぎでしょうか。

理由はわからないものの、とりあえず、いい方向への変化だと思っています。

 

20世紀末に「復活」した日本の糖質制限食

前回紹介したように、戦前までは糖尿病治療食として、夏目漱石も食べた厳重食(ほぼスーパー糖質制限食)がありました。

しかし69年に発行された食品交換表第2版以降は、糖質制限の考え方に基づいた記述はすっかり消えてしまいました。

 

「糖質制限食」という言葉が毎日新聞紙面に初めて掲載された2005年7月5日付朝刊記事=毎日新聞縮刷版より。

筆者の最初の一般向け書籍「主食を抜けば糖尿病はよくなる!糖質制限食のすすめ」の出版直後だ

 

 

その後、国内での糖質制限食の臨床での実践は、99年に私の実兄、江部洋一郎医師が高雄病院で開始し、有効例を重ねるまでほぼ途絶えます。ほぼ同時期に釜池豊秋医師も愛媛県宇和島市で実践を開始し、主として肥満・メタボリックシンドロームなどに応用しました。

高雄病院では当初糖尿病に特化して症例を積み重ねました。

この2カ所での取り組みが、戦後、臨床現場で糖質制限食を取り入れた皮切りです。

大正以降の歴史から見れば「復活」と言った方がいいかもしれません。

 

高雄病院では01年以降、病院をあげ精力的に研究を行いました。

04年には、私が国内初の糖質制限食有効例の学術的な報告を行いました。

これが「復活」以降の、糖質制限食に関する最初の医学論文です。翌年には初の一般向け書籍も出し、医学関係者ではない多くの一般の人に読んでもらえる本になって、その後も続けて本を作ることができました。

08年には内科医の坂東浩医師、整形外科医の中村巧医師により、肥満外来で約1000人を治療して糖質制限食の有効性を報じるという、大規模な論文が発表され、私も引き続き論文発表を続けました。

「糖質制限食」という言葉が、一般に知られるようになったのは、この2000年代後半からです。

 

転換点となった学会での公開ディベート

ただ一般からの関心の高まりに反して、専門家の間では糖質制限食に関してネガティブな意見が提示されていたのもまた事実です。

日本糖尿病学会はメディアへのプレスリリースなどで、繰り返し糖質制限食の安全性や効果を否定する見解を発表していました。

私は自分のブログ「ドクター江部の糖尿病徒然日記」で、その意見に逐一反論していましたが、発信力に差があり、苦労したことも少なくありません。

しかし、めげずに情報発信を続けたせいか、自分自身の食生活や患者さんの栄養指導で、慎重に糖質制限食を取り入れた医師の中から、糖質制限食賛成派が徐々に増えていきました。

また糖尿病専門医の中にも、新聞やテレビを使った批判ではなく、正々堂々と公の場でディベートをして決着をつけたらいいのではないかという意見が増え、それを要望する声が日本糖尿病学会に届き始めました。

 

それを受けて開かれたのが、12年1月15日、国立京都国際会館での「糖尿病治療に糖質制限食は是か非か」というディベートセッションです。

これは第15回日本病態栄養学会年次学術集会のプログラムとして企画されました。

今、振り返ってもこの日は、糖質制限食が医学界の表舞台に初登場したという意味で、大きな意味があると思っています。

 

私はもちろん「是」側の演者として講演しました。

門脇孝先生(日本糖尿病学会理事長)に座長をつとめていただき、カロリー制限食の優位性を支持しておられた久保明先生(高輪メディカルクリニック)に、「非」側の演者としてご出馬いただきました。

この学会は通常3000人規模なのですが、このセッションには約4000人の医師・栄養士が集まりました。

非常に有意義な議論ができ、是非双方の立場から大きな反響が寄せられました。

 

メディアも注目 続々出版される「糖質制限食」本

実際、この日から私のブログのアクセス数は急増し、全国の医師会、保険医協会、病院などから講演依頼を頂くようになりました。

糖質制限食に興味を抱き、自分で始める医師も「爆発的」と言っていいほど増えました。

「血糖値に直接影響を与えるのは糖質だけであり、たんぱく質・脂質は影響を与えない」といった知識を学び、自分のものとしている医師、栄養士、研究者も増加し、多くの一般向けの解説本がこの年から続々と出版されました。

最近は、これらの本で「ロカボ」「ケトジェニック」「MEC」など新しい用語がたくさん出てきて、私も「どう違うのですか」と尋ねられることがあります。

根本的な仕組みは糖質制限食と何も変わりません。「違う看板を作った」という意味があるのでしょう。

 

そして13年10月、米国糖尿病学会が「栄養療法に関する声明」において糖質制限食を正式に容認しました。

この詳細はこの連載で以前記事にしましたが、非常に大きな追い風となりました。

 

糖質制限食の広がりは、歴史的な流れを見てもいよいよ加速がついてきた、と言ってもいいのではないかと考えています。

 



インスリンがなかった時代の糖尿病食


インスリンが1921年に発見され、これが糖尿病の治療薬として使われるようになったことで多くの糖尿病患者が命を救われ、普通の人と同じような生活を送れるようになりました。

 

巨人にいたガリクソン投手のように、幼いころから1型糖尿病という持病を抱える人が一流スポーツ選手としても活躍できるようになったのは、ひとえにインスリンのおかげです。

 

2型糖尿病の患者さんでも、糖尿病が進行していけばインスリンのお世話になることになります。

 

では、インスリンが糖尿病治療に使われる前は糖尿病患者にどのような治療が行われていたのでしょうか

 

それは、「食事療法がすべてであった」と言っても過言ではありませんでした。

 

インスリンを使うことができない状態で血糖値が激しく上昇するような食事をすると、高血糖に苦しみ、命に関わるのが進行した糖尿病患者さんの常ですから、それを避けるためにどのような食事をすればいいのか知っておく、それを懸命に追求したのが、1921年より以前の食事療法だったと言えます。

 

逆に言えば、それは「インスリンなどの投薬なしで糖尿病と共存していくための方法」を表しているともいえます。

 

現代においても同じことです。

 

境界型糖尿病の人や、糖尿病初期の人がインスリンなどの薬を使わないままにうまく糖尿病を抑え込みながら生きていくための方法であると言ってもいいでしょう。

 

その食事療法は実際にはどのようなものだったのでしょうか

 

1917年の糖尿病の食事療法の本が、University of California LibrariesのPDF文庫の中に所蔵されています。

 

Diabetic cookery cover.jpg

 

Diabetic cookery; recipes and menus ([c1917])

http://archive.org/details/diabeticcookeryr00oppeiala

 

Author: Oppenheimer, Rebecca (Wolff), Mrs., 1854-

Subject: Cookery for the sick; Diabetes; Diet in disease; cbk

Publisher: New York : E.P. Dutton & company

Possible copyright status: NOT_IN_COPYRIGHT

Language: English

Call number: SRLF:LAGE-266960

Digitizing sponsor: MSN

Book contributor: University of California Libraries

Collection: cdl; americana

[Open Library icon]This book has an editable web page on Open Library. 

 

これはOpen Libraryですから、PDFファイルが以下のアドレスからダウンロードできます。

http://ia700301.us.archive.org/1/items/diabeticcookeryr00oppeiala/diabeticcookeryr00oppeiala.pdf

 

 

この本の中で糖尿病患者が絶対に避けるべき食材として摂食を厳しく禁止されているのが以下のものです。

 

Forbidden Foods in 1917.jpg

 

Sugars

All Farinaceous Foods and Starches

Pies

Puddings

Flour

Bread

Biscuits

Rice (by permission only)

Sago

Arrowroot

Barley

Oatmeal (by permission only)

Tapioca

Macaroni

Beets (on doctor's order)

Large Onions

All Sweet and Dried Fruites

Honey

Levulose

All Sweet Wines

Liqueurs

Cordials

Syrups

Beer

Ale

Stout

Porter

Chocolate

Condensed Milk

 

すべてのでんぷん質の食品及びでん粉

パイ

プリン

小麦粉

パン

ビスケット

ライス(許可された場合のみ)

サゴ(サゴヤシの幹の髄からとった白い米粒状のデンプン。食料、または糊(のり)の原料。「沙穀」)

クズウコン(南米産の植物の根茎からとれるくず粉のようなものです、これも要するにでんぷん)

大麦

オートミール(許可された場合のみ)

タピオカ

マカロニ

ビーツ(医師のオーダーで)

タマネギ

すべての甘いドライフルーツ

蜂蜜

レブロース(β-D-フルクトピラノース 果実糖)

すべての甘口ワイン

リキュール

強壮剤(コーディアル酒 養命酒とかシャルトリューズ (Chartreuse)とか)

シロップ

ビール

エール

スタウト

ポーター

チョコレート

コンデンスミルク

 

 

おわかりでしょうか、徹底的に糖質摂取を禁止しています。

 

インスリンがない時代に糖尿病患者が生きていくためには「絶対食べてはならないもの」が上述の「糖質」食物群なのです。

 

そんな食べ物を、健常な人だけでなく、肥満者や糖尿病患者にさえも、毎食60%もの糖質を食べさせ続けているのが日本糖尿病学会の推奨する栄養指導です。

 

食品交換表に従うと、間違いなく50%以上のカロリーを上述の禁止食物から摂取させられます。

 

糖尿病患者をどんどん作りだして、初期の糖尿病患者は確実に悪化させて回復しないようにしよう♪

 

そしてやがてはインスリン注射漬けにしないと生きていけないようにしよう♪

 

最後は人工透析に持ちこんで、国のお金(税金)でたんまり儲けてやろう♪

 

現在の日本の高糖質食推奨には、そういう悪意があるようにさえ、思えてしまいます。

 

 








          たきがみ博士の想い

 

誰でも、自分の中に伝統がある。自分が経験したすべての過去の累積、それが”いま”のわたし。

過去とは思いだすこと、現在(いま)は過去の必然、そして、未来は想い、選択すること。

いまは、変えられない。

しかし、人には明日があり、未来がある。明日は、こうありたいと想いを持つことができる。

 

すてきな明日に向かって、”これからへの想い”を具体化するJourney、しっかり楽しみたいと思います。

そして、”いま、ここ”を丁寧に活きる。

みずからの人生の軌跡を、すてきな笑顔でみつめるために。

 

旬(ときめき)亭 亭主 たきがみ博士
  たきがみ博士


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☆他人に期待すれば不満になり、

  自分を信頼すれば自信になる 

☆人間関係とは、他人を通して自分自身

  との付き合い方を学ぶ機会なり 

☆自分の短所を受け入れるとき、

  自分らしさという魅力が生まれる 

☆最も空しい人生とは、

  すべてが思い通りになる人生である 

☆幸せは得るものではなく、気付くもの


☆樹木は、上に伸びる前に下に伸びる 

☆他人との対立は、

  自分の心の中の対立に過ぎない 

☆幸せだから感謝するのではなく、

  感謝するから幸せを感じる 

☆孤独を知らなければ、

  本当の繋がりが分からない 

☆内側から生まれてくる至福は、

  失うことがない


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