がんになったことで、その後の人生のあり方、生きようとする方向性がガラッと変わりました。
何が良いかは、私にもわかりませんが、損得ぬきで、どうしてもそうしなくてはいられなくなってしまったから、そうしている・・・ような事の連続で「今」があります。
がんになっていなかったら、間違いなく、別の「今」です。
どちらが良いのかはわかりませんが、「今」の方が深く広く穏やかな人生ではと感じています。
そう言う意味では、私もがんに感謝しています。
癌告知を受けた時、誰でも、嬉しい気持ちになることは無いと思います。
されど、私を含めて、癌になってよかったと言う人がいます。
私を含めて、癌告知された時は、そんな馬鹿な! ありえない!
治ったから、カッコつけてるじゃ無いの! と思うのが普通です。
癌になってよかったと思う人は、癌になったことが良いのではありません。
癌になって、自分の生き方の間違いに気づき、修正できたからよかったと思っていると、考えます。
人口一億人以上の日本で、5千万人以上のの人が癌になります。私の豊橋市では、15万人以上の方々が被患します。
そんな中で、今の医療状態でお医者様に依存すると、癌の5年生存率どうりの結果になります。
今の自分の状態、お医者様のおかれた立場、生き残るための知恵などを理解して、真の自分との対話をさせてくれるのが、癌でした。
人間には、必ず良いとこと悪いとこがあります。だいたい、人が考えていることは、どちらかに偏っている方が多いですが!
人の良いところをたくさん観れる方は、真似したりして、行動すると、良い方になっていきます。
人の悪いとこが目立ち、批判したり、共感すると、間違いなく、良くはならないと思います。
私の両親を見ますと、頑固親父=悪、耐えて笑顔を心がける健気な母=良、と思っていました。
頑固親父=信念を通す人、親父に耐えるだけの力を持っている強い母、こんないいとこどりをして見ました。
私が今あるのは、強い信念と強い忍耐力で、健康を取り戻したからかもしれません。
(今も、ブレブレですので、決して強くはありませんが)
振り返れば、癌手術から、肺転移、抗がん剤を止めるまでは、悪いとこを見る方が多いようでした。
人の闘病記を見れば、苦しさと、悪化していく事ばかりが、気になりました。
癌克服セミナーでは、参考になりましたが、治った特別な人の事、そんな感じがしていました。
一気に良くなるわけはありません。 良いことの積み重ねで、徐々に良くなると思います。
素直に、良いことは真似してみる経験の積み重ねで、今があると思います。
ようやく、悪いことよりも、良いことを見ることが、少し多くなってきたかな。
それで、良くなる確信が、持てた気がします。 まだまだ、邪悪なふしだらな、でも魅力的な自分もいますが(笑)
人の良いところを見るようにします、そして、真似します。
一度死を受け入れてからガンを克服した人たちが、口をそろえて言うひと言があります。
「ガンになってよかった」
死を覚悟したことで、
自分にとって大切なものに気づけた人だから言える、
重みのある言葉です。
そしてこの言葉は、自分の考え方を変えるヒントそのものです。
病気になったとき、普通の人は「運が悪い」と考えます。
でもそこで、
「病気になってよかった。病気は生き方を変えるチャンスだ」
と考えてみたらどうでしょうか。
病気はチャンスだと思った瞬間、いろいろなことに気づけます。
たとえば、今まで痛めつけることしかしてこなかった自分の体を、
いたわるチャンスだと考えれば、自分の生活習慣を見直せるでしょう。
十分に睡眠をとったり、仕事をセーブしたり、食生活に気をつけたり、体を温めたり。
それまで十分にがんばってくれた体を癒す方法はいくらでも思いつきます。
自分の考え方を変えるチャンスだと考えれば、
自分勝手な生き方をしてきたかどうか省みることができるはずです。
自分を支えてくれる家族の存在、
今まで見向きもしなかった四季折々の美しい自然に気づき、
こんなにすばらしい環境の中で生きてこられたことに素直に感謝できるかもしれません。
死を見つめるチャンスだと考えれば、
自分はどういうふうに死んでいきたいのか、
残りの人生をどう生きるべきか考えるきっかけになります。
そうやっていろいろなことを考えているうちに、
自分の本当の間違いに気づくことができるかもしれません。
それに気づいて自分を正せたら、体も心も真の健康を取り戻せるでしょう。
こんなにすばらしいことはありません。
そう考えると、「ガンになってよかった」という言葉もより理解できるような気がします。
もしかしたら病気は、
人間の生き様に警鐘を鳴らす救世主なのかもしれない。
思慮深く考えること、
人間の五感を磨くこと、
自分の潜在意識を信頼すること、
自然と調和すること、
もっともっと大切にしていきたい。
身体を大事にできなかったのは、
自然に備わっている自分の力や気持ちを
無視していたからだと思う。
もっともっと、
自分を信じて活きていこう。
私の周囲(私が治療したではなく)ではガンが治った、ガンが消えた、消えなくても末期のはずが何年も生きているなんてザラですが、その人たちにはある共通点があります。それは「癌に対して “ありがとう” と感謝をすると、癌が治っていく」というような、ある種のオカルト信仰です。しかし事実だけを鑑みればオカルトだと言われようと、人間の科学ごときにはまだわからない秘密があると思われます。
個人的に医者目線、科学目線、心理学目線を使って観察すると、やはり共通点があります。まず過去の罪や自分の愚かさに直視するということをやっています。正当化する人はやはりチャンスが少ないのでしょう。そして小さいことへの執着が少なくなっています。我々は社会で生きているとき、動物としては本来必要のないものに執着しています。それを彼らはどんどん手放しています。
カルマとかそういう言葉は私は嫌いです。非常に宗教的ですからね。それよりも現実と過去を直視すると言ったほうが、的確な表現の気がします。思考法が変われば食事も変わり生活も具体的に変わります。人にいわれて感謝しろと言われても、腑に落ちていなければ決して食事も生活も変わりません。それが変わると人間関係さえも激変していくのです。
もうひとつそのような治った人たちを観察する時の特徴は、常識を捨てるということです。これは執着を捨てるに近いのですが、具体的にいうなら病院に行かなくなるのです。医者にも頼りません。多くの患者さんに接したとき、病気の意味や食事の悪さなどを省みて、それを変えるまではよいのですが、結局病院に検査して確認に行ったり、医者という嘘つきにやっぱり意見を聞きに行ったりしてしまうものです。
私も患者さんに対しては、検査行くなというより自分で決めろとは言いますが、行って確認したり医者という詐欺師の意見を聞きに行ってる時点で、自立は出来ていないし病気の本質は見えてないし、なにより病気にフォーカスしてとらわれているのでチャンスは少ないなと思ってしまいます。治っている人は決して人にゆだねず、自分だけで選択し考え自分で治しているのです。
*NPO法人 薬害研究センター 理事長、Tokyo DD Clinic 院長、NPO法人 薬害研究センター 理事長