高タンパクはなぜ必要か                     藤川 徳美


三大栄養素中もっとも生体・生命と直結

 

【必須アミノ酸の含有量】

すでに述べたように、タンパク質を構成するアミノ酸は20種あるが、これは2種に大別される。

「必須アミノ酸もしくは不可欠アミノ酸」と「可欠アミノ酸」との2種である。 前者はその名のとおり、欠くことができず、必須であるのに反し、後者は欠くことができる。

必須アミノ酸は8種あって、残り12種が可欠アミノ酸である。 

人体がタンパク質をつくるとき、必須アミノ酸も可欠アミノ酸もひっくるめて20種のものがいる。

それなのに、なぜ欠くことのできるアミノ酸があるかというと、それは体内で合成できるのである。

必須アミノ酸は合成がきかないから、それそのものを外界から供給してもらわなければならないことになってしまうのだ。

たとえば、同じ含流アミノ酸でもメチオニンは必須であり、システインは可決である。

システインはメチオニンからつくられるが、その逆は不可能だ。

 

一般に、可欠アミノ酸は、糖質を変形したものにアミノ基を付加してつくる。

このとき、「アミノ基転移酵素」という名の酵素の登場が要求される。

メチオニンをシステインに変える転移酵素はあるのに、システインをメチオニンに変える転移酵素がない。

そのために、メチオニンは必須アミノ酸になり、システインは可欠アミノ酸になる、という論理だ。

 

何が必須アミノ酸になり、何が可欠アミノ酸になるかは、転移酵素の顔ぶれできまる。

したがって、両者の振り分けは動物の種類によってちがう。

同じ人間のなかまでも、幼児にとってはヒスチジンも不可欠であって、けっきょく、必須アミノ酸が9種になる。

ラットでは9種、鳥類では11種も必要だ。

良質タンパク、非良質タンパクのめやすとなるプロテインスコーアが、必須アミノ酸の含有量だけできまることは、これで納得されたことであろう。

われわれがタンパク食品を問題にする場合、タンパク質の総量、すなわちアミノ酸の総量に着目すると同時に、8種の必須アミノ酸の含有率、したがってプロテインスコーアにも着目しなければならないのである。

 

【トウモロコシの問題点】

ビタミンB群に属するものとしてニコチン酸というのがある。

成人は1日にこのビタミンを9ミリグラム必要とする。

ところが人体では、これを必須アミノ酸トリプトファンからつくることができる。

ニコチン酸の摂取がないときは、トリプトファンからこれがつくられる、ということだ。

 

ただし、9ミリグラムのニコチン酸をつくるのには、540ミリグラムのトリプトファンがいる。

60倍のトリプトファンがいるということだ。

こういう事実があるので、ニコチン酸が不足するとトリプトファンが失われ、摂取したタンパク質のプロテインスコーアがさがってしまうことになる。

大まかにいって、トリプトファンの含有量は、植物タンパクで1%、動物タンパクで1.4%である。

したがって、動物タンパクのほうがニコチン酸不足に強いことになる。

 

トウモロコシには、「3アセチルピリジン」という名の化学物質がふくまれている。

それはニコチン酸をこわす働きがあるので、「アンチビタミン」といわれる。トウモロコシだけを食うとラットが死ぬのは、ニコチン酸がこれによって破壊されるために、ただでさえ少ししかないトリプトファンがその方にまわされ、けっきょく、プロテインスコーアがゼロに近くなるからであろう。

 

【「異化」と「同化」】

われわれ成人の場合、すでにからだは出来上がっているのであるから、タンパク質がからだのもとだといっても、いまさらタンパク質を食う必要はないではないか、というような疑問をもつ向きもあろう。

 

むろん、育ちざかりの子供や妊婦と比べたら、一般成人のタンパク質必要量は少なくてよい。

しかし、タンパク質の補給を怠れば、さまざまな障害がおこることは、すでに述べてきたとおりである。

 

ソビエトのノビコフは、生命をロウソクの炎にたとえている。

これはけっして文学的な発想ではない。ここにロウソクの炎があったとしよう。

炎のなかでは炭化水素のガスが燃え、炭素の微粒子が熱せられて光を放っている。

そして、炭化水素は酸化して二酸化炭素と水蒸気とになり、炭素の微粒子とともに上昇気流にはこばれて炎の頂点から外にぬける。

 

これが連続的におこるために、炎の内容は刻々と更新される。炎の形は不変であっても、つねに新しいガスが燃え、古いものは炎と分かれてゆく。

ノビコフは、これこそが、生命の実相であるという。

 

われわれ人間の姿は、そう変化するものではない。

しかし、その内容はつねに更新されている。

ロウソクの炎と同じだ。

もし、更新されないからだがあったなら、それは死体にほかならない。

生きているということは、つねに新しくなる、ということなのだ。

 

ロウソクの炎に、話をもどそう。

ロウソクのしんからたちのぼる炭化水素のガスは、燃えて炎になる。

これを「同化」ということができる。ガスが、炎と同じものに化するのだ。

一方、炎の燃えかすは、もう炎ではない。

炎とちがったものに変化して、そこを立ち去ったのだ。これを「異化」ということができる。炎が、炎と異なるものに化するのだ。

 

ロウソクは、同化と異化とによって生きている。

それと同様に、人間も、同化と異化とによって生きている。

なるほどわれわれのからだはタンパク質でできている。

われわれが生きているかぎり、そのタンパク質は、異化して肉体を立ち去らなければならず、そこに、また新しいタンパク質がきて、からだを更新するのだ。同化をおこなうのだ。

 

われわれが、毎日適当量のタンパク質を食わなければならない理由は、まさにここにある。

それは、生命の炎を消さないための不可欠の条件なのだ。

 

タンパク質に生命が宿るーとこのことを表現してよいだろう。

物質の新旧交代こそが生命の実体であり、交代するものがタンパク質そのものである、と考えることもできる。

 

そこからただちに、低タンパク食が生命の否定であること、また、健康の否定であることに気づかなければならない。

 

【三石巌 高タンパク健康法(絶版)より抜粋】

 

 








          たきがみ博士の想い

 

誰でも、自分の中に伝統がある。自分が経験したすべての過去の累積、それが”いま”のわたし。

過去とは思いだすこと、現在(いま)は過去の必然、そして、未来は想い、選択すること。

いまは、変えられない。

しかし、人には明日があり、未来がある。明日は、こうありたいと想いを持つことができる。

 

すてきな明日に向かって、”これからへの想い”を具体化するJourney、しっかり楽しみたいと思います。

そして、”いま、ここ”を丁寧に活きる。

みずからの人生の軌跡を、すてきな笑顔でみつめるために。

 

旬(ときめき)亭 亭主 たきがみ博士
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