大人の本気の議論ほど危険なものはない
論破とかありえないし、議論そのものが危険である。
特に議論を個人攻撃と取りがちな日本人の場合特にそうである。
大人になったら、「議論してぶつかりあってその後わかりあって肩組んでさらに仲良くなるとかほとんどありえない」と思った方がいいでしょう。
白熱議論して仲良くなれたとあなたが思っていても、相手は消えない恨みを持っているかもしれません。
相手の行動や考えを変えたかったら、相手の心をできるだけ正確に読み、お互いの共通利益を探し、そちらを徐々に示しながら穏やかに笑顔で、相手や相手の言い分を過剰にならない範囲でリスペクトしながら、誘導するのがベターでしょう。
大人で本気で議論していいのは、学者や評論家やジャーナリストでしょうが、そういう人でも、長く業界で生き残っている人は、上手に議論を避け、一部おっさんになりすぎて感情的になってカッとしてやっちゃう場合を除いて、殆どが自身の利益のためのポジショントークに専念しておられるので要注意。
そういう人に踊らされて熱い議論やってしまって身もふたもなくなる人も、まっすぐな日本人の方に多いのでご留意を。
議論やディベートを頭の中で、頭の体操としてやるのはとってもいいことですが、意味もなくエネルギーや時間を無駄にする形で熱くなって、言わなくていい・書かなくてもいい、余計なことを書いたり、言ったりするのは、相手の議論が根本から間違っていることより、愚かかもしれません。
正義感を発揮したい場合こそ、真正面から行かない方がいいかもしれません。
とにかくひどい言葉は絶対使わないことです。
自分から先に汚れていきます。
じっくり共通利益を持ちそうな仲間を作って流れを築いてまいるのがいいかと。 かくいう私もなかなかそうはできませんが・・・