身体と気持ちが欲する食というものの差に気づくときがあります。
その一つが、「甘いもの」です。
ここで、身体とは偏らない本来の食を欲するもの、とでも言っておきましょう。それは腸をはじめとする内臓全て。
そして、気持ちとは、ずっと後から最近、といってもずいぶん前のことらしいですが、できた大脳の新皮質で出す指令のこと。
社会的な流れとして、人の喜ぶものを与え続けて、支配下に置くということが、TV、雑誌、マスコミ、政府、国家・・・、によって行われてきており、企業はその影響下に入り利益を伸ばし資金を確保してきました。
それはとっても、理想的な姿に見え、皆がそれで良しとする傾向が、日本の場合、戦後ずっと続いてきたように思われます。
しかーし、よく考えてみてください。
毎日が、ハレの食を口にしていればどうなるか。戦前であれば、盆正月くらいしか食べなかったものを、ほぼ連日口にすることのなんと異常なことを。
特に「甘いもの」に対する歯止めのなさは、恐ろしいほどです。
甘いものが悪いと言っているのではありません。甘いものを連食、多食、過食を喜ぶ気持ちにしてしまうことが悪いと言っているのです。
気持ちって考えてみると、どこが発しているのでしょう。
私は気持ちを発しているのは、最近できたという大脳新皮質だと考えています。
そこが、甘いものを食べるととても喜ぶんです。
しかし、身体はそれを喜ばず、すぐにインシュリンを出して血液から除去してしまう。
すると大脳新皮質くんはまた駄々をこねて、くれくれと騒ぐのです。
これの連鎖が、糖尿であり、癌であり、鬱であり、脳軟化からくる痴呆であったりとします、と私は考えています。
「甘いもの」って、お砂糖ばかりを言っているのではないんです。
秋田に行った折、ある味噌蔵で35割麹の甘い味噌らしきものに出会いました。女将に以前からこの配合ですか?と尋ねました。いえ、最近の作です、と答えていただきました。
そうなのです。味噌すらが、麹歩合をむやみに高めて、甘くして売り出しているのです。
他の食は推して測ることにして、それでは何故このように甘さを高めるようになってしまったのでしょうか。
一番は、現実社会のストレスが原因の一つだと考えています。
毎日晒されるストレスで疲弊した大脳にとって、麻薬以上に習慣性もあり緩めてくれる砂糖のような甘さは、ホッとする一番のご馳走となっているのです。
秦の始皇帝に時代も、平安貴族たちも、女官たちにはその当時とても高価であった甘いものを食べさせたと聞き及びます。
何故でしょうか。
それは、女性の皆さんには失礼なことかも知れませんが、女性の体を和らげ、男性好みの体にすることが一つの目的であったと考えられます。
実は、甘いものだけではありませんが、特に「甘いもの」は体を緩めて、さらに腐らせていく働きがあると考えています。
畑の作物も、考えてみてください。
最近の自然農法とかいう方法で、不耕起栽培、無施肥、もちろん無農薬というのは、とても強い作物が育つといいます。
そして、収穫後、そのまま置いておくと枯れるとも。慣例農法では、腐っていくものがです。
人間だって同じです。肥料のやりすぎは体を腐らせるのです。
そして、「甘いもの」を過食させられた子供たちは、成長に伴って、心が腐っていくようになり、すぐキレる人間となっていきます。
だから、時には良いでしょうが、ハレの食を毎日食べたり、「甘いもの」を好んで体を緩めたりしないことをお勧めします。
生活とは、ストレスの渦中に身を置くしかないのも現実です。
だからこそ、心の片隅にいつもこれらもことに気を止めるように、今はできなくっても、いつかそのような食や生活をしたいと思うようになってほしいと願っています。