信頼される社員になりたい。
慕われる上司になりたい。
頼られる夫でありたい。
大切にされる妻でありたい。
認められたい。
尊敬されたい。
好かれたい。
これらは多くの人の願いであり、満たされれば生きる力となり満足できると信じています。
果たして、そうなのでしょうか。
「認められる」「尊敬される」は「見られる」ことです。
誰からも相手にされないのは辛いものですが、「認められる」「人気が出る」「出世する」とかいうのも手放しで喜べるものではありません。
いい加減なことは出来ません。
うっかりしたことも言えません。
「われに自由を与えよ。しからずんば死を」の言葉はよく知られています。
自由がなければ死んだ方がマシだと言えるほどのものかどうかは別として、誰もが自由を望みます。
しかし、有名になると大切な自由が奪われて束縛されます。
現代のベートーベンと評価された人が一転して、ゴーストライター問題や謝罪記者会見などで連日非難されました。
30代のノーベル賞候補と称讃を受けた研究者も捏造報道で窮地に立たされました。
脚光を浴びることになったため、過去の業績から経歴や交友関係や言動等の全てがさらされてしまいます。
知られたくない過去の一つや二つは誰にもあるものですが、有名になれば明きらかにされてしまいます。
そんな過去がいつ発覚するか、今も怖れている有名人は多いのではないでしょうか。
過去だけではありません。
言動の一つ一つを常に見られていますから、いつの間にか不自由になっている自分に気付きます。
ビートルズのジョン・レノンは「有名になれば自分の思い通りに活動できるだろうと思っていた。気づいたら・・・自由は完全に奪われてしまっていた」と語り、彼の元奥さんも「馬車が快調に走り出すと、もう彼は降りたくても降りられなかった」と言っています。
イギリス王室の華といわれたダイアナ妃は、昼となく夜となく、公の場でもプライベートにおいても、パパラッチと言われるカメラマンに追い掛け回され、交通事故で死を迎える間際においてさえ、自分に向けてフラッシュを炊く彼らに Leave me alone(ほっといて)と言い遺して死んでいったと言われています。
2600年前、「人生は苦なり」と説いた釈迦は、人気や名声をどれだけ手中にしても、苦から逃れることは出来ないと教えています。