現代社会はどこをみても解決すべき問題や課題が山積しています。
混迷を極める中、日本はどのようなビジョンに向かって、どの方向に舵を切ればよいのでしょうか。
たびたびではありますが、アインシュタインの言葉に「問題を作り出した次元と同じ次元では、問題を解決することは出来ません」とあります。
意識次元の変化なしには、問題を解決することはできないのです。
ですから現状の問題や課題を解決しながら、より良い方向へと向かうビジョンも大切なことではありますが、それだけでは一時しのぎになり、永遠に問題が尽きることはないのです。
すべての問題には原因があります。
おきている問題は実は結果に過ぎません。自分自身の問題も、社会の問題も、国際問題も実はたった一つの原因から発生しているのです。
結果にアプローチしながら理想に向かうビジョンも大切ですが、それ以上に重要なことは原因にアプローチしながら理想から現実に向かうビジョンなのです。
この二つのビジョンがペアリングされることによって、まるで車の両輪のように力強く前進できるのです。
根本原因を解決できるからこそ、あらゆる過去のしがらみを排除し、すべてが調和した永続的に発展可能な本物の理想を掲げ、人と人、国家と国家がビジョンで繋がりながらともに具現化していく道へと舵を切ることが出来るのです。
これらはすべて人間の認識を上昇させる、新しい教育を土台にして成立します。
基軸教育によって、グローバルに時代のイニシアチブをとるべき国こそ日本なのです。
孫子の兵法「地形編」には、まず必ず勝利する場所に行くこととあります。
これが示唆しているのは、相手の土俵では勝てないということです。
陸地では強い虎も水中では魚に勝利することが出来ないでしょう。
私たちが今乗っかっている土俵は西洋が作り出した資本主義というプレートです。
そこで戦っても勝利することは出来ないのです。良い例えではないかもしれませんが、賭け事で必ず勝つ人は胴元なのです。
さらに追い討ちをかけているのは、資本主義の本当のよさを失墜させる金融経済というガンがはびこり、いまや資本主義は末期状態であるということです。
そんな資本主義構造を変化させることなく、日本がモノつくりだけを武器に舵を切るのは、あまりに危ういのではないでしょうか。
今日本がとるべき道は、基軸教育によるヒトつくりであり、それが可能なのは唯一日本だけなのです。
なぜなら日本には過去を切る勇気があるからです。
日本は近来、西洋列強による三度の重大な暴力的干渉を受けています。
一つは黒船来航による強制的開国。二つは先の大戦における原爆による物理的破壊と、精神性の破壊、3つはプラザ合意によるバブルの発生と崩壊。
しかし日本は勇気をもって過去を切り、自分たちの外を受け入れ、オリジナル以上のものを作り出すソフトパワーによって、これを乗り越えてきたのです。
そんな日本の弱点は、基本的にすべて西洋の真似であったということです。
いまこそ日本オリジナルの世界戦略によって世界のリーダーとして立つべきときです。
そのためには、この時代に生きるすべての人たちが共感でき、共有できる普遍のビジョンが必要になります。
方位磁針が世界のどの場所においてもN極を指すように、国家、宗教、思想関係なく共有できるビジョンです。
それはすべての人間の中に潜在している根源的な「尊厳欲求」を満たす教育革命を伴ったビジョンによって成されます。
そして同時に大きな産業を誕生させます。
人間のバージョンアップによって既存の産業も大きく変化し、飛躍的な経済活性を起こすでしょう。
クリエイティブな情報商品を提供できる個人知識企業家がどんどん表れ、人工知能には真似することの出来ない、人間の新しい仕事が次々と創造されていきます。
普段私たち人間が経験しているのは、五感覚と脳の認識をベースにした、主観的な思い込みの世界です。
私たちはその主観的な経験を基に考えたり、選択したり、行動したり関係を作ります。
観術は、独創的な認識技術の開発により、私たちの認識水準を短期間で飛躍的に上昇させることに成功しました。
自分や世界に対するイメージが一新されることによって、今まで解決不可能だったあらゆる問題を一掃することができるのです。
ここでは「観術とは何か?」について基本的なイメージをお伝えしていきます。
人は同じ出来事や、同じ人に対してまったく違う解釈をしてしまいます。
たとえば同じ人に対しても、ある人は「とてもいい人だ」といい、別の人は「最低なやつだ」と言います。
同じ出来事に対しても前向きに「チャンスだ」と捉える人もいれば、「なんで自分ばかりがこんな目に合うのか…」と悲観的に捉える人もいます。
なぜそのようなことがおきるのでしょうか
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それは見る人の「視点」によって物事の見え方がまったく変ってしまうからです。
同じものを見ていても、見る視点よってまったく違うように見えますよね。
ですから見ているその人にとっては、その視点から見えている世界が客観的な「事実」であると思いこんでしまうのです。
本当は視点が違うことから生まれる解釈や捉え方の違い、すなわちそれぞれの「思い込み」でしかないのですが、そこに気づかないままでは相手や環境のせいにしてしまい、解決されることがありません。その視点の違いを「判断基準」と呼びます。
2
一人ひとりの判断基準の違いは、その人の過去の経験によって変わります。
記憶は無くとも、生まれた瞬間から様々な情報が蓄積され、それぞれ独自の判断基準がつくられていきます。
たとえば抑圧的な育てられ方や、強い感情を伴う経験をした人は、他人に対して「自分の気持ちを表現してはいけない」といった判断基準をつくることもあります。
そして過去の経験や環境がまったく同じ人はいないので、人間は皆異なる判断基準を持っているのです。
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一人ひとりが違う判断基準を持っているがゆえに、日常的なコミュニケーションのズレや関係性の不和、ひいては教育や経済・国際関係に至るまで様々な問題を生み出しているのです。
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私たちの日常にある様々な問題を解決していくことは、非常に難しいことのように思えてしまいますが、それは判断基準の違いから起きており、その違いが生まれるのには一つの原因があるのです。
その原因とは何でしょうか
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その答えを解く鍵は、私たちの脳にあります。
脳は5感から入る様々な情報に対して、特徴的な認識処理をしています。
後ほど詳しくお伝えしますが、脳の特徴的な認識すなわち「認識のクセ」が原因として、一人ひとりの判断の違いを生み出し、様々な問題をつくり出しているのです。
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それらを総じて「観点」の問題と呼んでいます。
そしてこの観点の問題は人間に共通の特徴です。
起こってしまった結果である問題にアプローチするので無く、あらゆる問題を生み出す唯一の原因に働きかけ、問題を一掃するのです。観術の創始者である、Noh Jesuが構築した論理とイメージに裏づけされた、独創的で画期的な認識の技術がそれを可能にしました。
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起きてしまった現象や問題に、やり方や思い方の変化で解決を見出そうとする既存の成功哲学や自己啓発、心理学や宗教的なアプローチとは一線を画す、新技術をぜひご確認ください。
あなたの周りの人たちを認識するときに、相手の話の全体や背景をとらえることなく、一部分だけを過去の印象や記憶とつなげてとり、自分の価値観や意見との違いだけをとらえ相手を有限化して決め付けているとしたら・・・同じ大きさのプリンを私たちの脳が勝手に、上が大きいと決め付けているように、私たちの人生も脳のクセによって勝手に決め付けている思い込みの中で展開されているのです。
この脳のクセから自由にならない限り、私たちはずっと同じことを繰り返してしまうのです。これを「観点固定」と言っています。
観点の次元上昇
それでは、その観点固定からどのようにして自由になっていけばよいのでしょうか
その鍵は認識の次元にあります。アインシュタインが残した言葉にこのような一文があります。
「問題を生み出している次元と同じ次元の意識では、問題解決は出来ません」
私たちが問題として捉えることがすべて脳によって生み出されているのであれば、脳の認識の次元では問題は永遠に解決されることは無いのです。次元とは変化・移動する方向性の自由度です。
先ほどのアインシュタインの言葉とも繋がるのですが、次元があがることによって問題が解決されていくイメージをお伝えしたいと思います。
点(0次元)、線(1次元)、面(2次元)、立体(3次元)
0次元の存在は変化の自由度が無く、一方向からの問題にも対処しようがありません。
この状態ではただ問題を憎んだり、相手が悪いと責めてしまうだけです。
しかしあるとき気付きます。
その問題を問題と認識している原因が自分にあることを。
そして自分の変化、認識の次元上昇をしたらどうでしょう
1次元の存在へと次元上昇したら、自身の変化の自由度が上がるので、一方向からの問題は簡単に回避することができるようになったのです。
このように次元を上昇することは、今までの次元では問題であったことを一掃し、問題が問題ではなくなる境地に行くことを可能にします。
私たちは通常、空間的に縦横高さの3次元を認識することが可能です。
それでは我々人間の認識が次元上昇するとはどのようなイメージなのでしょうか
それを理解するために、上下方向を認識できない2次元の存在がいたとしましょう。
MRIのように平面しか認識できない存在です。
その存在がこの人参と出会ったときにんじんをどのように認識しているでしょうか。
このように大きさの違う無限の面と出会ったと認識します。
そしてそれぞれ大きさの違う面を分離した存在として捉えます。
そしてこの2次元の存在にある時、認識の次元上昇が起こったらどうなるでしょうか。
今までばらばらで分離していたと思い込んでいた世界がすべて調和融合され、一本の人参だけがあったことに気付くでしょう。
これとまったく同じことが、私たちの認識におきているとしたらどうでしょうか。
私たちが日常認識している空間3次元の世界は、自分や他人、物質、光などがばらばらに分離独立した存在として有るように思い込んでいます。
そんな人間の認識に次元上昇が起きたらどうなるでしょうか。
先ほどの人参の例えのように、今までばらばらであったものがすべて融合・調和され、今まで私たちが見ていたのは真実の世界の一部の側面だけを見て、勝手に思い込んでいたことに気付くでしょう。
そうした時に今までの私たちの認識において問題だと思っていたことが、問題ではないことに気付くのです。
昨年量子力学の実験において、存在は人間の観測行為なしには存在しないことが証明されたように、今まで当たり前だと思っていたことが、当たり前ではなくなり、想像もしなかったことが当たり前になっていく、大きな転換期を迎えようとしているのです。