血液・輸血                            森下敬一


<輸血の歴史>

動物も、人間も、大量に血を流しては死んでゆく。

こんな光景をみていた昔の人びとが「血には命が宿されている」と考えたのも当然の話であろう。

 

彼らの眼には、血は、真に不可思議な液体と映じた。

そこから、血は、若返りの妙薬として、また、病氣治しの特効薬としてもすぐれた効能を発揮するもの、と信じこまれるようになる。

 

日々衰えゆく容色の回復を図るために、若者をいけにえにしてその血の風呂に入浴したネダスジー伯爵夫人。

また、リチャード王のライ病を治すために、「初生児の血を浴びて、その心臓を食べれば病はたちどころに癒ゆべし」と進言したユダヤ医師、というように、この種の物語は無数に残されている。

 

それはともかく、健康にとって、血液の存在はきわめて重要なものである。

今や、生理機能について多くの科学的知見を得ているわれわれは、そんな迷信的なことはだれも信じはしない。

けれど最新の血液生理学の立場から眺めると、物質と生命の仲立ちをしている血液というものの神秘性に改めて目をみはらざるを得ない。

 

我々の体は、表皮や爪、歯などの固い硬組織を除けば、血液は全身くまなく行きわたっている。毛髪の一本一本にさえ、その毛根の中心部には、赤血球がはいりこんでいるのである。

 

血液の量は、おとなでは体重の約13分の1。

栄養分および酸素の供給、老廃物・炭酸ガスなどの排泄、ホルモンの運搬、体温・呼吸・循環の調整など、きわめて多様な働きを行なっているために、全血液の3分の1を失えば生命は危険におちいる。

 

さて、1667年、パリー大学教授のジャン・デニー教授によって最初の輸血が試みられている。

ジャン・デニー教授は極度の貧血におちいった16歳の少年に対して、仔ヒツジの動脈血225gを輸血して、少年の命を救った。

 

この成功によって、彼は、さらに別人を対象とした第2、第3の輸血を試みた。

 

第2回目には仔ヒツジの動脈血を567g、また第3回目には、仔ヒツジの静脈血283gをヒトに輸血したのである。

なお、この同じ年(1667年)、ドイツ人医師マットボイス・プルマンも皮膚病患者に仔ヒツジの血液を輸血している。

 

17世紀なかばに始まったヒツジの血液の人体への輸血は、18世紀にはいってからも引き続き試みられた。

 

19世紀になって、イギリスの産婦人科医ジェームス・ブランドールは、弛緩出血の産婦10名に対して採血した血液を輸血して、止血および貧血改善の目的を達した。

しかし、この成果の発表に啓発されたヨーロッパ各国の外科医や産科医たちが、やみくもに先を競って輸血を試みた結果、輸血事故が頻発している。

 

安全性が一応確保されて輸血が一般化したのは、1921(大正10)年になってからである。

わが国で初めて輸血がおこなわれたのは、1931(昭和6)年9月1日。

日本橋浜町の優生病院に輸血の紹介部が設けられ、「職業的供血者を取次ぎます」との呼びかけがおこなわれた。

同年10月には、同じく東京に大日本輸血普及会が組織されている。

 

<最も重要なのは血液型の問題>

輸血に先だって行われるのが血液検査である。

現在では、血液性状の判定、肝機能検査、梅毒検査、血液型判定などをおこない、その血液が輸血血液として適するかどうかを決める。

輸血において最も重要なのは、血液型の問題である。

供血者と受血者の血液がABO式のA、B、AB、Oのうちのどの型であり、またRh式がプラス、マイナスのいずれであるかを、予め確認しておかなければならない。

血液型については、この2種類のタイプを知っていれば充分である。

 

こういってしまえば至極簡単だけれど、ここまで研究が進み、一般の人々の認識が高まるまでには、多くの人々の努力があった。前世紀末、欧米ではロックフェラー研究所のランドシュタイナー博士が、人間の血液にはいくつかのタイプがあり、その血液のタイプと、種属や個人の性質および性格の間に深い相関関係があることを発見した。

 

それをきっかけに世界各国の科学者たちは、競って血液型の研究にあたり、人間の血液がA、B、AB、Oの4つの型に区別されることが明らかにされた。

 

また、研究が進むにつれて常識が改められることもある。

昔はAB型の人は、同型であるAB型からはもちろんのこと、ABO型のだれからも血液をもらい受けることができると信じられていたが、今では、よほど緊急の場合以外には、同型であるAB型で、しかも同種の者のみからの輸血をするのが原則となっている。

 

日本人にはRhマイナスの人は非常に少なく、200人に一人ぐらいの割合だ。ABO式で最も少ないのはAB型で、人に一人の割合。

したがってAB型でマイナスの人は2000人に一人の勘定となる。

この希少の血液型についてはもちろん、その他の場合においても、いざというときになって献血者を募っていたのでは間に合わない。

そこで考えだされたのが献血制度である。

 

これは、一度、血液センターに献血しておくと、その人が輸血を必要とする時には、いつでも、提供した(それ以前に献血した)分の輸血が受けられるというものだ。

わが国に献血銀行が誕生したのは、昭和26年のことで、一時、薄い売血として騒がれたこともあった。また、輸血で大きな関心を呼びおこしたのは血液交換である。

 

Rh式血液型のプラスの血液をマイナスの持ち主に輸血すると、軽い場合には貧血をおこし、重症の場合には溶血をおこして死ぬこともある。

これが血液型不適合といわれる現象だ。

 

それと同様のことが母親と胎児の間でおこるのが母子血液型不適合だ。

母体内で生成された抗体(抗Rh抗体)が、胎児に移行し、胎児のRh因子(抗原)と反応をおこして、胎児の血球を溶血させる。

最も、実際には母親の血液と胎児の血液がまざり合うことはないし、母子の血液型が異なること自体が母子血液型不適合の根本的な原因ではない。

しかし、そのような母子の血液型の組合せにおいて、時として血液型不適合がおこって、「新生児溶血性疾患」と呼ばれる異常がおこる。

この病氣にかかった子供は、ほとんどの場合、死んだり脳性マヒや重症心身障害児となって悲惨な一生を送る、という恐ろしいものである。

これを予防するために、現代西洋医学では、子どもの血液を別の血液型の血液と入れ替えることがおこなわれている。これは大いに問題のあるところだ。

 

真因(食生活のあり方)を突き止めれば、全く別のもっと確実な解決策があるはずだからである。

 

<輸血によって起こる生体反応>

輸血をおこなうと、必ず何らかの反応があらわれる。

その生体反応が生理的な範囲を越える場合を輸血副作用と呼ぶ。

輸血副作用にはいろいろあって、その主なものは、? 輸血血液それ自身の異常によるもの(たとえば、不適合血液型、溶血血液、細菌汚染血など)。

 

・輸血手段のミスによっておこるもの (たとえば、必要量以上の過剰輸血、氣泡形成など)。

 

・受血者の内的条件によっておこるもの(たとえば、抗体による輸血、赤血球の溶血、アレルギー反応、アナフィラキシー反応、

 心臓および腎臓障害、クエン酸中毒など)があげられる。

 

尚、輸血血液の質は、保存すること自体や氣候などによる影響を受けるため、保存日数が長くなればなるほどそれと平行して副作用の発生率も多くなる。

とくに夏季は発熱因子が繁殖したり、赤血球の崩壊(溶血)がおこりやすいため、副作用の発生もいっそう多くなる。

 

また、受血者自身の身体的条件も副作用の発生に密接な関係をもっている。

生体反応というものは、すべて外的条件と内的条件のからまりあいによって生まれるもの。

だから輸血副作用についても、外的条件としての輸血血液の質、内的条件としての受血者の体質・体調を問題としなければならない。

 

輸血副作用として最も頻繁にみられるものは、発熱反応とアレルギー反応で、両者を合せると副作用全体の80%を占めている。

次いで溶血反応、循環型反応、疾病の感染の順になっている。

 

発熱は、一般には発熱物質によって引きおこされ、輸血直後から3時間以内におこり、12~24時間で軽快するのが普通である。

このほか不適合輸血における溶血反応時やアレルギー反応時にもみられる。

 

アレルギー反応は、主にじんましん、血管神経性浮腫及び氣管支喘息といった症状として現れることが多い。

これは受血者及び供血者のどちらか、あるいは両者共が、アレルギー反応の既往歴を持っている場合に多発しやすいが、そうでない場合にも

おこることがある。

いずれにしても、受血者の体質体調に問題がある場合、たとえば肝臓機能障害を起こしていたりすると、副作用発現の可能性は確実に高まるのである。

 

循環型反応は、受血者の受け入れ体勢をこえて過剰な血液を急速に輸血した場合、急激に循環血量が増大して起こる反応である。

すなわち、輸血中あるいは輸血後一時間以内に、呼吸促進、起座呼吸それにチアノーゼなどの呼吸困難症がみられ、聴診すれば、肺に水泡音が聞かれる。

また、輸血によって感染の起きやすい患者の代表は、梅毒と血清肝炎。

梅毒の場合は、3~5度の低温に3~4日間保存すれば、病原菌は感染力を失ってしまうため保存血使用で感染が防止されているが、それでも100%絶対安全とはいえない。

 

昭和49年~50年にかけて、輸血による肝炎が多発した。

その原因の一つは、血液保存のための容器の素材であるプラスチックによるものと目され、大きな社会問題となった。

このプラスチック容器による輸血装置は、ベトナムの野戦病院で、負傷した米兵の輸血のために使われ、輸血後、呼吸困難を起こした事、またデンマークのある病院で人工腎臓を使った患者が、吐き氣や腹痛を訴えたことなどが発端となって調査された結果、その容器からプラスチックの可塑剤として使われていたフタル酸エステルが溶け出ていることが明らかとなったのである。

 

次いで、保存血の欠点を除去したものとしてプラスマ(乾燥血漿)が登場した。

しかし、第二次世界大戦(1941年)では、大いに威力を発揮しながら、朝鮮戦争(1950年)においては肝炎の大発生を招き、プラスマ時代も終焉した。

 

こうした数々のトラブルを起こしてきた輸血であるが、忘れてはならないのは、輸血とは、あくまで事故や産科での緊急時のためのもので、安易にするものではないということ。

それは他人の命と自分の命とを入れ替えることに他ならないからである。

 

 

血液型については、その型によってそれぞれの特徴があり、人の性格について話題にした書籍もこれまで多く出版されてきました。

否定する人も少なくないようですが、「血液型は、体細胞のすべての質的なタイプを示すものである以上体質、氣質に特定の傾向が現れるのは、自然な発想といえる。」と森下会長は捉えています。

 

<血液型による性格の違いと特徴>

血液型によって、人の性格はかなり特徴づけられるといわれている。

これを否定する学者も少なくないけれど、血液の型は、血液をはじめとした体細胞すべての質的なタイプを示すものである以上、体質や氣質にある特定の傾向があらわれると考えるのは、ごく自然な発想といえよう。

 

血液型による性格の違いについて、鈴木芳正 著『A型人間』の「血液型による性格診断」の項から抜粋してみよう。

 

A型……

どんな環境におかれても、A型はその環境に順応し、従順でおとなしくみえる。

なにかをする場合でも非常に慎重で、細心の注意をはらい、仕事の結果や相手の評価に対して謙譲であり、反省的である。

責任感も強い。A型を動かすものは感情である。

たとえば色の好み、音に対する感覚、美との調和、生活のリズム、友人の呼びかけや厚意などに敏感で、そのことがA型を同情心に富んだ人間にもするし、あるいは意地悪くも嫉妬深くもする。

 

外国人からみると、日本人はいい意味でのヒロイズム(さむらい魂)の要素があると言う。

また日本人を熱しやすく、さめやすいと言う。いずれもA型が最も多いA型社会である日本のA型氣質のあらわれである。

直感的で順応性のあるA型だけれど、一面では、保守的である。これはA型氣質の持つ消極的、慎重さからくる保守性である。

 

O型……

自信が強く、自分の氣質や性格が問題になり、話題になるのを非常に嫌う傾向がある。

意志が強く、物に動じることがなく、理知的で感情をおさえることができるから一旦決心したあとで迷うということがない。

押しが強く、精力旺盛でバリバリ仕事をする。

 

反面、自分の判断したことを決してまげようとせず他人を認めようとしない強情さを持ち、頑固になりやすく、個人主義に傾きやすい。保守的だと評価される。

意志が強く、強情で、支配欲も強く、その為に人一倍努力もするというのもO型氣質だ。

これは、多分に劣等意識を隠し、克服するためにあえて強い態度をとっているものと考えられる。

 

O型は、非常に自己抑制が強く、感情を外に出すことが少なく、常に冷静であり、理性を重んじてものごとのスジを通そうとする。

それだけに、稀に感情が爆発して取り乱すと、その爆発ぶりはきわめて激しく強い。

 

B型……

周囲のどんな小さなことに関する変化に対してもたいへん敏感である。

刺激に対する反応はすばやく、活動的で、快活。どんなことにも思い切りがよくて、淡白で、楽天的で、社交的で、他人に対して親切であり、にぎやかなことが大好きである。

 

ところが反面、移り氣であきっぽく、どんなものにも執着心が少なく極めて大胆ではあるが、慎重さに欠けるうらみがある。

行動が派手で、事実を誇張して話す傾向もある。

調子よくいっているときはよいが、意志はたいして強くないため少し困難にぶつかると動揺しやすい。

おしゃべりで、出しゃばりすぎる欠点も持っている。

 

事にあたって、B型は行動派である。

陽氣さ、積極性、口のうまさ、環境への順応の早さ、ゆったりした人あたりのよさ、動きのおだやかさ、社交性、企画立案し、指導的な立場にたつことを好むといった行動のパターンは行動派そのものである。

 

AB型……

他の血液型にはみられないAB型独特の氣質の特徴は、まずなにより、A型の氣質とB型の氣質が共存していることであろう。

そして、決断力があり、機敏で、活動的であることは、B型にまさるとも劣らない。

中々よく氣がつき、人当りがよく親切で、外面的に観察する限りB型そっくりであるが、ちょっと深く接してみると思考形態は、A型そのままであることがわかる。

 

事にあたって慎重細心であり、客観的な判断力もあり、感動しやすく、同情心に厚く、感情で動かされることも多く、犠牲的精神も持ちあわせているし、常に自己を反省するところもよく似ている。さらに、勘が鋭く、順応性もある。

 

ある場合にはB型の氣質表現がめだち、別の場合にはA型の氣質表現に傾いたりするので、氣質的に不統一で一貫性を欠き、矛盾しているように受けとられがちだ。

短氣で怒りやすい傾向もある。

 

また、ものごとに対して非常に客観的な見方をし、合理的な行動をするのもAB型の特徴である。とはいえ、慎重ではあっても、ただその行動には、ちゃんと客観的な裏づけ、合理的な計算がつくされている、という訳だ。

 

結局のところ、なかなか理解しにくい複雑な氣質を持つのが、AB型であるといえそうだ。

 

 

<ABO式の発見>

血液型が、社会的に大きくクローズアップされるようになったのは、心臓奇形の手術にあたって、マスコミを通じて一般に献血の呼びかけがなされたからである。

血液型の分類法には様々なものがあって、その中で、一番よく知られているのがABO式である。

 

ところで、この血液型というものが、我々の知識の中にしっかりと根づくようになったのは、今世紀になってからで、医学の歴史からみればつい最近のことといえる。

前回にも述べたように、1901年、ランドシュタイナーが、ヒトの血清が別のヒトの血球を凝集する場合のあることを発見したことに始まる。

 

彼は、血液には、先天的(生理的)に型があることを認め、それをA型、B型、O型と名づけ、それらに当てはまらないものを例外とした。

翌年、彼の門下の学者がさらに、もう一つの型を追加し、実質的に今日と同じ4つの型に分類されたのである。

 

今日では、検査方法の進歩により血液だけではなく、唾液、汗、涙、鼻液、尿、精液、膣液などの分泌物や、口、胃腸、生殖器の粘液、さらに各臓器細胞などからも、その人の血液型を正確に判定できるようになっている。

 

ABO式の他に、Rh式、MN式、E式、Q式など様々な分類法が開発されるに従い、すべての人は、一人ひとり固有の血液型をもっているらしい、と考えられるようになった。

 

そして、この血液型は確実に遺伝するという特性があるため、犯罪の捜査、親子鑑定の資料、人類学の資料、臨床面への応用など、いろいろな方面に広く利用されている。

 

 

<イエロー・ベビー>

新生児のほとんどがある時期、生理的な黄疸にかかるのは、次の理由によるものである。

 

肝臓は、古くなった赤血球からできるビリルビンという黄色い色素を、水に溶けやすい性質のものに変えて外に出す働きをしている。

けれど、生まれたばかりの子どもでは、この働きが弱いため、色素が血液中に入ってしまい、黄疸をおこすとされている。

この黄疸も生理的な範囲であれば、何らの障害をおこすこともなく、まもなく治ってしまう。

だが、病的な場合は、血液100?中に20?の危険ラインを越えてしまう。

そうなると、この過剰なビリルビンは脳神経をおかして、脳性マヒをおこしやすくなる。

これがいわゆるイエロー・ベビーだ。

 

この重症黄疸の原因は、一般には血液型不適合によるものとみなされ、そのカラクリは次のように説明されている。

 

「母親の血管とお腹の赤ちゃんの血管は、胎盤で隣り合っていて、赤ちゃんの血液がしみ出して、母親の血液の混じる場合がある。

これは、ちょうど輸血してはならない血液をちょっぴり輸血したのと同じことになる。

ごく少量なので、母親には影響ないが、母親の血液中に赤ちゃんの赤血球を壊す抗体ができてしまい、これが胎盤を通じて赤ちゃんの血液に流れこむ。

そうなると赤ちゃんの赤血球はパンクして、中からヘモグロビンがとび出てしまう。

そのヘモグロビンが壊れて、ビリルビンという黄色い色素が増え強い黄疸が起こる。」と・・。

 

しかし、これは明らかに間違いである。

この間違いは「母体の血液と胎児の血液の接点が、どのような事情になっているのか。」について正しい理解がされていない、という根本的な原因に根ざしている。

実際には、母体と胎児の血液が交流したり、混ざったりすることは決してない。

 

子宮壁(母体側)から子宮動脈を通して、胎盤の組織に流れ込んだ母体の血液(とくに血球)は、絨毛間腔と呼ばれる空間において、いったん融解してしまう。

この溶け合ったものは、むろん細胞ではなく、やがて細胞に発展していく「細胞前段階物質」なのである。

そして、この物質は胎盤の絨毛組織にとり入れられて、次第に発展し、ついに胎児の体の赤血球となる。

 

一言で言えば、母体の血液(赤血球)は、胎盤でいったん破壊された上で、改めて胎児のための血液(赤血球)に再生される、というわけである。

それだからこそ、母体の血液型と胎児の血液型とが異なる、と言うことも起こるのである。

 

<イエロー・ベビーは肉食過剰が真相>

夫婦が不適合な子どもをつくる可能性がある組み合わせであっても、必ずしも母子に不適合がおこるとは限らない。

 

事実、重症黄疸のうち血液型不適合が原因と見なされるものは、わずか12パーセントにすぎない。

重症黄疸の原因は、、必ずしも血液型の不適合によってのみおこるものではない訳だ。

 それよりもずっと重要な問題として、母体の肉食過剰を考えなければならない。

 

我々の体の物質代謝は、「酸化・分解」と「還元・合成」とに大別される。

「酸化・分解」は昼間の活動・消耗状態において優位となるものであるし、反対に「還元・合成」が主体となるのは夜間であって、休息・再生状態をもたらす。

 

人間の一生について言えば、成長期は「還元・合成」が、「酸化・分解」に優位する時期であり、老衰期は「酸化・分解」が「還元・合成」よりも高まっている時である。

 

妊娠という現象も、こういった文脈でとらえることによって、その本質がつかめる。

すなわち、受精の成立や胎児の成長というものは、本質的に「還元・合成」の働きによって、初めて可能となる事柄なのである。

 

元々、女性と子どもは、炭水化物性の動物である。

それは、「女性が炭水化物性の食品をより好む」ということだけでなく、「炭水化物を血肉とする、実際的な生理機能を有する」という意味である。

 

元来、穀菜食向きにつくられている人間にとって、肉食は数々の弊害をもたらすけれど、女性や子どもにとっては、それがいっそう強くあらわれる。

 

とくに、妊娠中の母親が肉、卵、牛乳などの動物蛋白食品をとりすぎることは、深刻な血液の酸毒化を招いて、体の生理を「酸化・分解」型に傾けてしまう。

酸毒血液は物質代謝を混乱させて胎児の心身の成育を大いに障害する。

重症黄疸の真因もここにあるのである。

 

このような訳だから、妊婦は肉、卵、牛乳を厳に慎まなければならないのである。