体内時計の研究をしていると、よく介護の仕事をされている方からこんな意見を頂きます。
「施設に入居している認知症患者さんが、昼夜逆転して夜間に徘徊(はいかい)するので介護が大変です。
これは体内時計がおかしくなっているのでしょうか」
答えは、「イエス」です。
認知症患者の約半数を占めるアルツハイマー病と、体内時計の関係については、いくつか報告があります。
これまでに明らかになった研究成果の一部を紹介していきましょう。
アルツハイマー病治療の現状
認知症の一つであるアルツハイマー病は、高齢になるほど発症率が高くなります。
認知機能の低下とともに日常生活に支障が生じるため、介護の必要性が出てきます。
患者数は、医療の進歩による寿命延長による高齢化で、年々増加しています。
しかし現状、根本的な治療法は見つかっておらず、症状の緩和を目的とした薬を服用する治療法が一般的です。
発症の原因は、脳内の神経細胞が変性し脱落することですが、記憶障害、判断力の低下、感情や人格の変化などといった軽度の認知機能低下症状が表れた時には、既に多くの神経細胞が変性しており、治療が困難である場合が多いと言われています。
よって、iPS細胞(人工多能性幹細胞)を使って、失われた神経細胞を元に戻す再生医療が唯一の根本的な治療法と言えるのかもしれませんが、それはまだまだ基礎研究の段階です。
一方、アルツハイマー病の症状が出る前の、もっと早い段階で病気であることを見つけ、神経細胞の変性を事前に予防することが、新たな治療戦略として有効であることが最近分かってきました。
つまり、認知機能低下の症状が表れるより10~20年も前に、脳内では変化が始まっているため、その段階から予防を行うことでアルツハイマー病発症を遅らせるという考えです。
実際に、近年行われている新薬の臨床試験は、認知症の症状が軽い患者さんを対象に効果を検証しています。
睡眠障害がアルツハイマー病発症のサインに
この戦略に基づけば、いかに早くアルツハイマー病の兆候に気づき、予防策を練るかが大切だ、ということになります。
その兆候を探る方法ですが、最近話題になることも多い遺伝子検査で分かるのではないかと思う人もいるかもしれません。
実は、アルツハイマー病の原因遺伝子はいくつもあり、一概に遺伝子検査だけで判断はできません。
つまり、完全な遺伝病ではないということです。
一方、アルツハイマー病の神経細胞変性は、アミロイドβたんぱく質(以下「アミロイドβ」と表記)の蓄積により起こることが分かっています。
脳内のアミロイドβの蓄積をPETイメージングなどの画像検査で調べる方法もあり、これと遺伝子検査などを組み合わせることでより信頼性の高い診断が徐々に可能になりつつあります。
そしてこれらの検査とは別に、アルツハイマー病の兆候を知る大きな指標となるのが睡眠障害です。
実は、アルツハイマー病患者の半数以上が何らかの睡眠障害を抱えています。
その症状は多岐にわたりますが、多いのは昼間の眠気と夜間の中途覚醒です。
病状が悪化すると、昼夜逆転と共に夜間徘徊(はいかい)が見られるようになり、介護は困難になってきます。
そして、アルツハイマー病と診断される前段階、つまり軽い認知症状(軽度認知機能障害)がある患者さんでも、約半数に何らかの睡眠障害が見られることも分かっています。
ノンレム睡眠、レム睡眠共にその持続時間、トータル時間が減り、睡眠の量と質の両方に、悪い方向の変化が見られます。
つまり、睡眠障害はアルツハイマー病の早期発見のサインの一つとなる、と考えられるわけです。
睡眠の乱れで認知症状がさらに悪化
さらに、生活リズムが乱れている人は、そうでない人に比べて、その後のアルツハイマー病罹患率が高いことも報告されています。
昼間に過度の眠気が生じる人は、その後アルツハイマー病になる確率が高かったという研究結果もあります。
睡眠障害がある人や、睡眠時間が短い人は、アミロイドβの脳内での蓄積量が多いことも分かっています。
これらの成果をまとめると、睡眠障害は認知症の前兆であると同時に、認知症の悪化を助長する要因とも言えるのです。
原因は体内時計の異常
では、なぜアルツハイマー病患者に睡眠障害が起こるのでしょうか。
遺伝子操作でアルツハイマー病を発症させたモデルマウスでは、睡眠・覚醒の日内リズムのメリハリが弱くなり、夜間の中途覚醒が増えていました。
さらに、脳内にある中枢時計を調べた結果、体内時計の遺伝子の働きに異常が見られました。
また、このマウスは高齢のマウスと同様に、時差ボケからの回復が遅いことが分かっています。
これらのことから、アルツハイマー病に伴う睡眠障害は体内時計の異常、または機能低下が原因らしい、ということが言えます。
しかし、中枢時計の神経細胞自体に、変性や細胞死は特に見られていません。
なぜ機能の異常、低下が起きるかは、まだはっきりしておらず、「何らかの理由で早期に異常を来す」としか、現時点では言えません。
一方で、このモデルマウスの睡眠を阻害し、眠らせないようにすると、アミロイドβの蓄積が増え、アルツハイマー病の症状が悪化することも明らかになっています。
こうして見ると、改めて睡眠、体内時計とアルツハイマー病の関連の深さが分かります。
睡眠障害はアルツハイマー病の早期発見のサインとなり、症状悪化の原因にもなります。
そして患者さんの睡眠障害が進むと、介護の難しさが増します。睡眠障害を緩和することは、認知症の予防や悪化防止の効果があり、ひいては介護の負担増加の防止につながるとも言えるでしょう。
*柴田重信 / 早稲田大学教授
田原優 / カリフォルニア大学ロサンゼルス校助教
認知症患者の約半数を占めるアルツハイマー病の患者数は、医療の進歩、寿命の延びを背景に年々増加しています。
アルツハイマー病患者は体内時計に乱れが見られ、夜間の中途覚醒、夜間徘徊(はいかい)、また昼間の過度の眠気を引き起こします。
これらの睡眠障害は、認知機能の低下が見られる初期、またはそれ以前から表れ始めるため、アルツハイマー病の早期発見の指標としても有効です。
アルツハイマー病は今のところ根本的な治療法がなく、いかに進行を予防するかがカギとなっています。
さて、アルツハイマー病における体内時計の乱れに焦点を当てて、病態進行の予防方法を考えます。
特に、食事内容、サプリメントを用いた方法を紹介したいと思います。
夜間のコルチゾールを食事で管理
睡眠中は、脳内の老廃物を排出するシステムが覚醒時よりも活性化します。
アルツハイマー病の原因であるアミロイドβも、このシステムによって除去作業が行われます。
つまり、睡眠の質が低下してしまうと、この除去作業がうまく行われず、アミロイドβの蓄積が進み病気の進行を早めてしまうのです。
よって、いかに睡眠を改善するかは、病気の予防として重要です。
アルツハイマー病患者には、なぜ睡眠障害が見られるのでしょうか。
その原因として挙げられるのが、ストレスホルモンである「コルチゾール」の分泌異常です。
正常な人では、コルチゾールは朝方に分泌が増え、夜は逆に減る日内リズムをもっています。
朝のコルチゾール分泌は、体内時計の指標になると同時に目覚めの指標にもなります。
一方、アルツハイマー病患者では、夜間のコルチゾール分泌が増えており、これが夜間の覚醒・徘徊の原因になっている可能性があります。
では、コルチゾールの分泌をコントロールすることはできないでしょうか。
その方法の一つとして、食事内容を考えることが、コルチゾールの管理には効果的です。
いわゆる西洋食(砂糖、塩分、脂肪分、動物由来たんぱくの摂取過多、またはフルーツや野菜の摂取量過少)は、コルチゾールの分泌を増加させ、夜間の睡眠の妨げとなります。
反対に、フルーツ、野菜、魚の摂取はコルチゾールの分泌を下げる効果があります。
また、魚の油に含まれるDHAやEPAといったオメガ3脂肪酸は、コルチゾールの分泌を低下させることもわかっています。
ケトン体によるアルツハイマー病の予防・改善
もう一つ、睡眠障害の改善に有効と考えられているものに「ケトン体」があります。
アルツハイマー病患者では、脳内の神経脱落、機能異常により、脳内グルコース消費が健常人とくらべて20~25%ほど減少していることがわかっています。
つまり、患者の脳内では一番のエネルギーである糖分がうまく使えず、神経の機能が低下しているのです。
そこで、脳内のエネルギー状態を改善するために、グルコース以外で栄養となりうるケトン体を補給してあげることで、アルツハイマー病の病態改善につながるとする報告が近年多数発表されています。
脳内におけるケトン体の消費能力は、アルツハイマー病でもあまり衰えておらず、有効な手段といえます。
ケトン体とは、絶食などによって血糖値が低下した時に、肝臓などから産生されるエネルギーで、「βヒドロキシ酪酸」「アセト酢酸」「アセトン」という三つの物質の総称です。
これらは血中に放出され、体内のさまざまな組織の栄養源となります。
また、その中でもβヒドロキシ酪酸は、神経保護作用などの他の効果も報告されています。
体内でケトン体を増やす方法には、絶食、低糖質高脂肪食(ケトン食)、中鎖脂肪酸添加食、またはケトン体(ケトン体エステル、βヒドロキシ酪酸)のサプリメント摂取などがあります。
ケトン体の摂取は、ヒトによる試験で認知機能の改善効果が見られたとの報告があります。
また、今年報告された論文によると、アルツハイマー病のモデルマウスにおいて、ケトン体添加食が体内時計の機能を改善したそうです。
アルツハイマー病モデルマウスは、普段寝るべき時刻に覚醒が増え、逆に活動期に睡眠が増えており、体内時計の乱れが見られます。
ケトン体添加食を摂取したマウスは体内時計のメリハリがよくなり、これらの睡眠障害を改善しました。
ノビレチンの効果
シークワーサーなどの柑橘(かんきつ)類に含まれるフラボノイドである「ノビレチン」は、抗酸化作用、抗炎症作用、抗うつ作用など多数の有効性が報告されています。
さらに、最近の研究では、ノビレチンがアルツハイマー病におけるアミロイドβの蓄積を抑制することもわかっています。
一方、ノビレチンは体内時計の振幅、すなわちメリハリを高める作用があります。
つまり、ノビレチンの摂取、またはシークワーサーの摂取は、認知症の進行、体内時計の乱れ、両方の予防にもなり、一石二鳥かもしれません。
その他、体内時計の改善に有効なのは前々回にもお伝えした通り、「光」です。
晴れた日の室内と同程度の明るい光を浴びて体内時計の乱れをただす「高照度光療法」は、アルツハイマー病患者でも有効性が報告されています。
また、夜間のメラトニン濃度を増やすことも夜の睡眠を改善する一つの手段です。
国内では購入できませんが、海外で販売されているメラトニンサプリメントは、アルツハイマー病の改善に効果的だという報告が多数あります。
以上、体内時計をターゲットにしたアルツハイマー病予防を紹介しました。
患者さんの体内時計の乱れは、介護者の負担を倍増させているのが現状です。
まずは、体内時計、生活リズムの改善にトライしてみてはどうでしょうか。
結果的に、認知機能の改善にもつながると考えられます。
*柴田重信 / 早稲田大学教授
田原優 / カリフォルニア大学ロサンゼルス校助教