ブドウ糖とクエン酸と黄色4号とレモンエッセンスを入れて作るレモンソーダ。
自分で作ってなんだが、全く身体に入れる意欲が湧かない。
作られたこの物質たちに全く罪はないが、これらはもう「生命のない」物質なのだ。
これを身体に入れて元気がみなぎるわけなかろう。
しかし普通に売られているこれらは、大部分の人が「食品」だと思って摂取している。
本来食べることとは生命力の受け渡しで、人間は自分で栄養を作ることができないから、他の有機体から栄養をいただかなくてはならない。
そのいただく行為を「食事」というのではなかったか。
謎なのはなぜわざわざお金を出して生命力の低い食べ物を購入して摂取しようとする人がいるのかということだ。
その人が栄養が溢れすぎて困ってるんで、というなら100歩譲ってわかる。いや、余ってるなら食べなきゃいいだけなんだけど。
元気の元をいただくから元気になるんだよね。元気じゃない食べ物を食べたら元気じゃなくなるよね。
この間うちの店にきた小学生がいい質問してくれた。
「なんでここの醤油は三倍高いの」
ぼったくっているわけではありません、と、そんな乱暴な言葉を使わず黙って脱脂大豆の大袋を見せた。
うわ、なにこれ、と言われたので、家畜の餌ですと正直に話した。
三分の一の値段のしょうゆは、一回工場で加工されたこれを使っているのよ。
個人的見解だが、私は一度工場を通して加工したものには生命力はほとんど残っていないと思っている。
野菜などは土から抜いた瞬間に少しずつ生命力が無くなっていく。
だから生命力の高いうちに身体に入れるために新鮮さが大切なのだし、魚だって、完全に腐ってドロドロになったもので、よーしこれ食べて元気になるぞー、って人いますって話。
食品添加物の功績は
「安く」て「綺麗」で「美味しい」を実現させたこと。万人が好む味を研究によって編み出したことはすごいと思う。
しかし人間の身体は生命力が必要なんだよね。食品添加物の身体への害とか、細かいことはまるでわからん。
でも添加物を加えた食品には生命力が無いことだけはわかる。
まあ、生命力があるからと言って必ずしもそれを優しさに使わない人もいるから、一概に健康で生命力が高いことが絶対的にいいとは言えないんだけど。
元気すぎて争いしかけるような健康な人よりも私は病気だけど優しい人が好きだし。
ただ、身体が健康であることに越したことはないかなとも思うわけです。
化学調味料や添加物が食卓に並ぶようになってから、70年ぐらい経つんかな、どうかな。
だいたいこれから生まれてくる子どもで、添加物摂取世代三代目になると思うのよね。
二代目の現在40歳から50歳代がこれだけ病気が多かったりするわけなんで、そろそろ本気で食のこと考えていかないと日本人、もっと弱っていくと思うのよね。
なんか世界に云々とか、テクノロジー云々とかいう前に、自分で自分のご飯が作れるということが生きる基本と私は思うんです。
もう大人は好きにしてと思う。なに食べたって、もういいよ。買ってきた弁当食べとけばいーじゃん。
だけどこれから長きを生きる子ども達には、私は生きる力を与えたい。
親がレトルト食べてたって、自分でごはんを作るんだよ。
自分の身体は自分が守るんだよ。
社会の仕組みが変わるのを待ってたら、日本人いなくなるよ。
自分で自分の身体を作る食べ物一つ作れない人間がこれからの社会の役に立つのかは私はわからん。
もしかしたら社会が無いかもしれない。
その時、自分の身を守る術を与えられなかったら、どーする。
まあ、自分で考えて(╹◡╹)
おばちゃん、一人ずつでも少しずつでも、子どもに自炊力をつけたいねん。
進路指導の講演とか、話聞くだけなら忘れるよ。
大学行ったって自分の食べ物作れなかったら意味ないよ。
手を動かして、自分で食べるものを作るんだよ。
おばちゃんなんぼでも付き合う(╹◡╹)
子ども会に無理矢理ねじ込む形で弁当の日が出来そうや(╹◡╹)間に入ってくれるお母さんにも感謝(╹◡╹)