人は「嫌い」と思い込むと、その人の言動がまともでも、事実であっても、認めません。
感情的に受け付けません。
ところが、「好き」と思い込むと、その人の言動がまともでなくても、嘘とわかっても、「それでもいいや」と受け入れてしまいます。
人は知・情・意の生き物です。
その中で最も人を動かすのは情であると言われます。
嫌われたら、何をやっても駄目、何を言っても駄目です。
・黙っていれば、「愛想がない」
・何か話せば、「口が軽い」
・何かをすれば、「余計なことを」
・礼節を弁えたつもりでいれば、「慇懃無礼」
・遠慮して控えていれば、「無能」
ところが、好かれると、何をやっても、何を言っても評価されてしまいます。
・黙っていれば、「謙虚」
・何か話せば、「楽しい」
・何かをすれば、「前向き」
・礼節を弁えたつもりでいれば、「大人」
・遠慮して控えていれば、「慎重で着実」
そうだとすれば、善悪の議論はあるかもしれませんが、できるだけ嫌われないように心掛けておく方が、何かを成し遂げる為には役に立ちます。
「俺の悪口を陰でこそこそ言いやがって」と怒る前に、嫌われるような自分を改めて、好感度アップに心がける方が得策です。
それでも、好き嫌いの判断がその人の根深い業(カルマ)に基づいているのなら、これはもう仕方がありません。
人の好き嫌いは、自分ではどうにもならないことで決まることがあります。
あの釈迦に対しても、当時のインド人の3分の1が尊敬し、3分の1が嫌い、3分の1が無関心だったとか。
釈迦でさえ嫌う人がいるのですから、私たちを嫌う人がいるのは仕方がありません。
仕方がないことに一喜一憂するのは時間の無駄です。
未来も見えなくなります。
時には泰然自若として。
時には金剛のような心で。
乗り越えなければならないこともあると承知して、前に進んで参りましょう。