鬱とはなんだろうか。
鬱とは思考停止でもなく後ろ向きなわけでもなく、ストレスでもない。
まず、この事への理解が必要なんじゃないだろうか。
作物が鬱になるとは、畑の土への活着に抵抗する事である。
活着させるために、様々な対策を施す。
この事から、僕は色んなことを学んだ。
活着しない苗とは、一言で言えば、畑の土を嫌う苗である。
どんな土を嫌うのか。
その条件は色々ある。
苗土と畑の土質が全く違う場合、根がポットの中で疲れ切っている場合、苗を深く埋め過ぎた場合などだろうか。
だから、苗は出来るだけ鉢上げをし、土質を畑に合わせ、浅植えをするのがいい。
しかし、それだけとは限らない。
それが苗の鬱状態。畑に生えている草の種類が少なく、そもそも土が疲弊しているような畑。
虫たちのバランスが悪く、微生物もミネラルのバランスも狂っている畑。
そうした畑に苗を植えても、苗は内に篭り、活着しない。
これは、不自然な環境に対し、苗が強く抵抗している時であり、しかしながら、その抵抗を表現する事が出来ず、ただジッとしているのである。
そんな苗は、どの苗よりも感受性が強く、正義感が強く、抵抗力があり、戦おうとしている。
だが、戦う術が分からないだけだ。
だからジッとしてしまう。
そんな環境を見つけたら、僕は思い切って移植する。
草の多様性のある場所、土壌微生物の多様性のある場所に。
あるいは、距離が近すぎる他の者たちとの距離をあける。
それでもだめなら、苗の根を表に出し、まとわりつく畑の土を洗い落とす。
多少乱暴だが、そうすると活着する場合がある。
どうせ、やらないと枯れていくだけだ。
だから、一生懸命、その苗が活着できる環境を考えてみる。
苗は環境が変わり、自分の身姿が変わる事で、表現方法を見つけ出す。
今までピクリとも動かなかった苗が、良くも悪くも動き出すのだ。
人とて同じではなかろうか。
周りはコンクリートやアスファルトに囲まれ、山は雑木林が失われ、クローンの針葉樹に覆われてしまっている。
誰も価値観を合わせないと放り出されるは とばかりに同じ顔になり、考え方に多様性がなくなる。
食べるものも纏うものからも微生物が消え失せ、人と人との距離が近づき過ぎ、過干渉になり、それらが人を鬱にする。
そうした世の中に抵抗しようとする人ほど鬱になり、世の中への活着を避け始める。
だからこそ、環境を変えるべきだし、食べ物を変えるべきだし、適切な距離感に戻すべきだし、心をさらけ出せる環境で、心の泥を洗い落とす。
思い切った移植をする事で、全てが解決してゆく。
そんなものなんじゃないかと僕は思っている。