成長しなくても幸福で活力ある社会                 能村 聡


経済成長と幸福度

そろそろ馬脚を現してきたアベノミクスではありますが、根っこにある暗黙の前提とは、「景気が良い」とは、「成長戦略」つまりGDPなどが増えていくことが無条件に善とされています。

しかし、あえて疑問を呈したいのですが、資本主義社会に「成長」は必要不可欠なものなのでしょうか

新興国はともかく、日本のような成熟国家は、公正な分配と、地域自立の新しい経済モデルを創造していくしかもはや、閉塞的現状から明るい未来への出口はないように思います。

 

経済成長は国民にほんとうい幸せをもたらすのか?問い直ししなければなりません。

経済成長はある程度のところまでは、人々の幸せ感をふやしますが、ある一定以上の成長を遂げても、もはやその効果は低減し、逆に幸福感も水平あるいは下がり出すようです。

 

これは他の先進諸国でも見られる「幸福のパラドックス」と言われる現象であり、我が国においても日本の1人当たり実質GDPの動きと満足度の動きは正の相関をしておらず、経済成長が日本国民の生活全般の満足度につながらなくなっていると言えます。

成長神話は、自己矛盾を孕んでいると思います。

 

●貨幣の価値とは

さて、貨幣とは契約であり、みんながその紙切れの価値に暗黙に同意しているから価値があります。

これはある意味、”共同幻想”です。

それ自身は絶対的な価値を含んでいるわけではないですね。

為替(貨幣同士の交換レート)が変動するのも、現実、貨幣価値が現実世界に存在する実体などと比較しても相対的な価値しか認められておらず、その価値が変動するものということが現実になっているわけです。

 

●持続可能な発展へのパラダイムシフト

そもそも地球が有限であるので、物質的な繁栄を追求する経済成長がどこかで行き詰まるのは見えているのです。

将来世代への責任を考えれば、彼らの必要を満たす権利を奪わない持続可能な発展(Sustainable Development)へのパラダイムに真剣に移行することを考えなければならないと思います。

 

宇宙の叡智を受け継ぐ北米の先住民のホピ族は、地球は将来世代から預かっているもの。

今行う決定は7世代先の子孫のことを考えるいいます。

安定するまで何万年もかかる原発の放射性廃棄物を出し続ける原子力発電を推進する政策は、将来世代にたいへんな漬けを押し付ける倫理にももとる愚かなことです。

ドイツの著名な児童文学家のミヒャエルエンデはこう語っているます・

「私たちは将来世代にダン3時世界大戦を仕掛けている」と。

この世代間倫理が、福島第一原発の激甚事故の後、ドイツが脱原発を国家として明確に決めたことの大きな倫理的礎だと言われています。

 

●成長神話と資本主義の崩壊

経済成長は物質的、金銭的な成長を一般には意味しています。

成長が「絶対善」というのは、もはや「神話」ではないでしょうか

「成長がなくても幸福で活力ある社会をどうやって築くか」という問いを発して、「成熟国家」としての日本の将来像を皆が考えるべき時代に入っているのではないかとボクは考えます。

 

経済成長こそ貧困をなくすという神話も崩れつつあります。

経済のパイが大きくなれば、その分、貧しい人にも分け前が行き渡る、いっぱいに溢れた水瓶(成長産業)から水が溢れ出すトリクルダウンで瓶の外の人々にもおこぼれがあるという神話がよく新自由主義経済学者が語ります。

世界第3位の経済大国日本で、なぜこんなに貧富の格差が広がったのでしょうか

現実にはどうも富める者はますます富み、貧しいものは益々貧しくなっているのが実態ではないですか。

世界最大の超格差社会のアメリカには、4千万人ものフードスタンプ(食糧無料配給券)の受給者がいるそうです。

ウィナーテークオール(Winner takes all)が米国型市場原理主義資本主義の実態なのです。

 

経済成長には、実は、高い費用がかかっています。

これは設備投資や人件費というものだけでなく、隠れたコストを無視(未払い)していることです。

例えば、環境破壊や汚染、人々の健康や安全などを蝕む「外部不経済」という社会的費用です。

分かりやすい喩えでいえば、農薬や添加物まみれの食べものを食べ続けたあげく病気になる人が増えて、農薬を製造する化学メーカーが儲かり、病院が儲かり、製薬産業がもうかっても、その分は経済成長に寄与するのです。

なんか変ですね。

 

「成長はないが、幸せな社会」は、アベノミクスのような規制を緩和し、民営化を進めようとする市場原理主義経済にとっては大きなパラダイムシフトです。

大多数の人がまだ、成長が止まれば経済社会は破綻するという恐怖から抜け出せていません。

まさに自転車操業せざるを得ないという脅迫観念に消費者も企業家も囚われています。

 

●グローバリゼーションが普通のひとにもたらす不幸

市場原理主義や新自由主義が「グローバリゼーション」で覆われた世界を跋扈しています。

グローバリゼーションとは、究極のところ、労働者を奴隷(社畜)のように酷使して、ピラミッド型の階級社会で競争させ序列化し、過酷な弱肉強食のストレス社会で人間性を潰し、極一部(1%)の国際金融資本家や巨大多国籍企業が世界経済を完全に乗っ取って冨を独占して支配する地獄のような世界です。

 

脱成長、脱資本主義、反グローバリゼーションで、すべての人々が公平に豊かに生きられる社会を創造する叡智を、私たちは見出す努力を始めるべき時代を迎えていると真剣に考えます。

人を幸せにしない経済、地球環境を危機に陥れる経済、そういう経済に終止符を打たなければならないと強く思います。

 

経済活動とは、自然にあったものを商品(価格というお金による価値づけをすること)にしたり、もともとは無償の行動だったものを、サービスとして「有料」にしたりします。

子どもにお母さんが心を込めてつくってあげるお弁当が、有料の給食サービスになるのも経済成長のために役立つのです。

 

●人間中心主義的経済の行き詰まりとマザーガイアへのDVー地球は人間の所有物か

もっと深刻な問題は、意識有機生命体であるマザーガイアは自らの身体を形作るモノを私たちの暮らしや経済活動に対して、無償で与えてくれていることに、感謝すらしない人間中心の傲慢な経済であることです。

あたかも自分たちに地球の「所有権」があるとばかりに、人間は思っていますが、ほんとうにそうでしょうか

喩えて言えば、オイルメジャーは石油を貪って儲けた莫大なお金から地球に一銭のお返しもしていませんね。

 

地球はお金など欲しくないでしょうが、感謝の気持ちすら返していません。

逆にどんどん燃やして地球の大気を汚染し、気候という地球の呼吸機能を破壊しています。

人と人の関係から言えば、人間こそが地球の所有者支配者であるという傲慢な倒錯した完全にイカレタ精神構造だとと感じませんか

 

 「自然(地球)は聖なるものである、自然(地球)は人間の所有物や支配搾取する対象ではない!という精神基盤にたった「聖なる経済」を考えるべき時が来ています。

私たちは自然から切り離されています。

ほんらいは私たち人間も偉大なマザーガイアのおかげで活かされているのです。

私たちの現代の経済社会は、宇宙の真理(法則)から見れば倒錯し、逆立ちしているとしか思えません。

でもそれがコモンセンス(常識)とされて、誰も疑問を呈さずここまで川下りしてきました。

でもこの滝が迫っているんですよ。

 

●もう物質文明拡大の新しいフロンティアは地球にはないー環境制約の中での発展とは

資本主義は成長していくために、いつも新しいフロンティアを必要としました。

今はアフリカがその意味で注目されているようですが‥‥

戦争と覇権主義による侵略と支配は資本主義の発展とセットだったといえます。

歴史的に、大航海時代以降、西洋先進諸国は、新大陸やアフリカ、アジアなどを侵略して、自然資源などを略奪して、発展してきました。

もはや地球上には富をクスねてくる辺境はもはや存在しないと思います。

 

世界経済は限られた資源エネルギーのなかでのゼロサムゲームです。

企業は、商品を陳腐化させ、次から次へと買い替えさせること、必需品でもないモノを開発して、これまではなくても困らなかったモノをつくって、コマーシャルで洗脳して消費者に買わせ、新市場の創出などとうそぶいている。

 

さて、もはや実体経済では成長できない状況になって、狡猾な国際金融資本家は、金融工学(フィンテック)なるものを駆使して怪しげな金融商品を捏造し、中央銀行を実質的に支配して、お金を自分たちの都合で擦りたいだけ刷って、国債を買い支えるといういかにも国家を支えているふりをしながら、国を借金まみれの財政危機に陥れ、国債の利子を稼ぎ、国家さえも支配する構造をつくりました。

財政破綻で民衆に蓄積した政府への不満が鬱積したエネルギーを外に向けるために、偽旗作戦で国と国の対立を煽動して、戦争を引き起こし、軍需産業で儲け、戦争後は破壊された社会インフラの復興ビジネスでさらに儲けるということが歴史的に何度も繰り返されてきました。

これはマッチポンプ商法です。

 

彼らは金融商品の売買の利ざやや利子で、自分たちが確実に儲けられる自分たちの都合の良い詐欺的なルールをつくってきました。

現在のEUや米国の陥った財政危機の本質は、一部のウォールストリートに跋扈する国際金融資本家が意図的にマネー攻撃をしかけて政府を自分たちの虜にしてきたというのが実態です。

IMF(国際金融基金)、ECB(欧州中央銀行)、FRB(米連邦準備制度理事会)など、貪欲な国際金融資本家達(ロスチャイルドやロックフェラーなど)が支配するいかにも国や国連のような公的な装いをした「民間」の金融マフィア達が支配する機関が、財政危機の国に金を貸す替わりに財政緊縮を求めるのは、貸した金の利子はちゃんと返すために、構造改革という名で国民生活に必須の福祉や教育予算まで斬り捨てさせます。

 

中央銀行からハザールマフィアを追い出したハンガリー

●労働(働くこと)の意味の再考する必要性

雇用の問題も、失業率を下げ、雇用の場を増やすことは重要ですが、そもそも「労働」とは生きるための糧(賃金)を得ることだけが目的なのでしょうか?

労働(仕事)とは、自分が社会の中で存在する価値(社会において他者のしあわせに役立ちたいという気持ち)を活かして、生きがいを満たすことできる神様が与えてくれた贈り物ではないかと思います。

生きるために働かなければならないというのは、生きるためにお金を稼がなければ、食料品や住居、衣料品、エネルギー水道、通信費、医療費、教育費、交通費やクルマの燃料代など、生存や生活に必要なモノやサービスを買えないからだというのが常識でしょう。

 

その虚構マトリックスのなかで中心に鎮座しているのも「お金」という存在です。

人間は中心にはいません。ましてや地球は‥‥でも、ほんとうに必要としているのはお金ではないですね。

生活や生存を支えてくれるさまざまなモノやサービスは、本来は宇宙創造主が創造して与えてくださる贈り物(ギフト)です。

 

●お金という紙切れ(”かみ”きれ)を神(かみ)と崇めることをやめること

私たちを奴隷化しているお金というものに関する常識や価値観から離脱するのはむずかしいでしょう。

しかし、一足飛びにはいかないでしょうが、ボクはお金がいらない社会を実現することは、人類がその呪縛に気づき、この世界の実相(真実)に覚醒し、自らをそのシステムの奴隷から人間が解放されれば、不可能ではないと思っています。

民衆が主役であるべき「民主主義」が歪められて、獲得票数や多数決原理(多数派を取ること)に矮小化されし、さらには金さえあれば、の「金主主義」に堕している。

 

●社会経済構造のパラダイムシフトー小規模分散型社会と地域自立へ

さて、日本では3.11をきっかけに大規模・一極集中型の経済社会を転換する動きが強まっています。

食糧、エネルギー、ケア(医療や介護)をそれぞれの地域内で自給する循環型・地域主権型の社会です。

経済効率や市場原理主義とは決別して、人間と環境が調和した「共生の社会」をめざす試みです。

グローバリズムにはノーを突きつけて、再ローカリズムへの社会転換の動きが世界各地で始まっています。

 

●「聖なる経済学 - 感謝とギフトの経済」という新しい提案

さらに未来を肯定的に語りましょう。それがこの論考の主題です。

チャールズ・アイゼンシュタインが提唱した「聖なる経済学 - 感謝とギフトの経済」という思想があります。

文字通り「聖なる経済」の根幹は「感謝とギフトの経済」です。

高次元の完全に精神が覚醒し進化した社会経済の状態です。

しかしこれは決してユートピアではありません。

 

究極のエコエネルギーであるフリーエネルギーを活用し、たとえば単純労働の生産などは人工知能を持ったロボットにすべて任せて、すべての国民に政府が一定の紙幣のようなクーポン券を”ベーシックインカム”として発行し、必要なモノやサービスと交換するお金のようなものにするのもアイデアです。

自分という個性や価値が発揮できない、誰にでも代替ができ、究極的には機械に、最近は賃金の安い途上国の労働者に代替されている奴隷的な仕事に自らの貴重な時間を企業に売り飛ばして生きる生活はもう皆心のそこでは嫌だと思っていると思います。

 

自分が好きで、時間が経つのを忘れるくらい、没頭できる「時間が止まっている感覚で無我夢中になれる」ことを通じて、社会や地球が喜び、感謝されることをひたすらやるのが新しい聖なる経済における仕事です。

賃金を得るのは結果でしかなく、お金のために働くという発想は逆転します。

覚醒によるエンパス能力(共感力)の開花により、働くということの、あくまで動機と目的は、自分がワクワクして楽しいことです。

人が傷ついたり、地球が傷つくことを楽しいと誰も感じないでしょう。

 

仕事やビジネスとは、自分が自由で、楽しくて、社会にも人にも喜ばれるからするものなんです。

すべての仕事はほんとうは愛を与える奉仕です。

仕事は自然や自分の自由や尊厳を売り飛ばしてお金を得る行為ではありません。

 

人々は、もともとはハートに愛と感謝の気持ちを持った神聖なる偉大な存在です。

人間はもともと、内に神をもつ宇宙創造意識と一体の偉大な存在です。

人間は長い間、低いバイブレーションが覆ってきた闇の世界において、その尊厳も能力もないがしろにされ、また封印されてきました。

人生とは、人生において与えられるモノやサービスはそもそも聖なる存在からのギフト/贈り物だと思います。

 だとすればお返しは・・・

 「ギフト経済」は貨幣経済と違い、競争ではなく、必要以上に持っていれば、他人に分け与えます。

互いに支えあうコミュニティーが出来ます。

 

 でも「お金」の存在があると、その存在が、さまざまな制限をかけてしまい、ブレーキをかけてしまいます。

 やりたいけど、お金がかかる・・・とかの制限です

 ”美しいことをしたい”・・・・それでみんなをしあわせにしたい、ボランティアであったり、人を助けたり・・・したいと志し、動く人が現れてきていますね。見返りを期待しない無条件の愛という宇宙の法則を基にする、新しい聖なる経済です。

 

 与えることを優先する、ギフト原則がある経済は、真実の経済です。

ギフト(贈り物)は無条件に与える愛の行為です。

 お金はいただいた贈り物へのお礼や感謝の表現だと、受け取るべきなのです。

 

このような発想に立った経済では、地球からの贈り物をいただいた恩を、仇で返すような破壊的な蛮行をすることはなくなります、すなわち、環境汚染もなくなり、次の世代への漬け回しもありません。

 

●グローバリゼーションからRE:ローカリゼーションへ-スピリチュアリティへの目醒め

多くの経済は再ローカル化され、人から人への経済になります。

 地球を愛するようになり、私たちは高次元に進化した魂を持つSacred Being(聖なる存在)になります。

古い世界が崩壊し、新しい世界が生まれます。

 

私たちは完全覚醒によって聖なる存在に戻り、「技術」と「文化」という贈り物を、その真の目的(すべての人々といのち、意識の進化、地球に存在するあらゆる存在の繁栄)のために利用する世界になります。

 

 

 

●日本で古来から継承されてきた文化に変革のヒントがある

日本でも長い歴史を通して受け継がれてきた伝統文化はなんらかの形で、聖なるものへの尊敬と感謝が、根底にあります。

神様に神社で奉納するお神楽などはその典型ですね。単なるダンスとは違うのです。

日本各地で年中行事としてで繰り広げられている「お祭り」には聖なる経済においても深い含意と意義が潜んでいます。

五穀豊穣を神へ祈り、授かった恵みへの感謝をコミュニティのみなが集って神(マザーガイア)に感謝する聖なる神事です。

日本の場合、聖なる食べものである米づくり・稲作の循環サイクルが日本文化の集合無意識レベルの基盤になっていることは明らかです。

政(まつりごと)とは本来は聖なる「祭り」ごとです。

 

聖なるギフトの経済では、今のような非人間的な長時間労働はなくなり、人々は自分の内面・人生・家族・愛に関することに、人間性の成長にも、時間をもっと使える社会です。

 

この社会では「生存」が、生存競争から解放されて、分かち合い・「愛」により、保証されています。

 

●地球外の銀河連合に加盟する高度文明のレベルへの精神と物質が調和統合する進化

銀河連邦に参加している地球文明よりはるかに進んだ惑星文明社会では上に述べたような聖なるギフトと奉仕の社会がすべてに調和して成り立っています。

なんの不自由も格差もないのです。

地球を席巻しているグローバル資本主義・市場原理主義経済の根っこにある思想は、とても低いバイブレーヨンのもっともっとお金が欲しいという貪欲や嫉妬というエゴイズムが根っこにあります。

お金のない社会が実現している銀河連邦に属する高次元のスターシステムでは、生活に必要なモノやサービスは無料の社会です。

労働は社会への奉仕活動になります。

仕事は人生や生活を覆ってしまう企業への滅私奉公ではなく、必須ではありますが人生の一部です。

 

宇宙の知的生命体の文明に較べて、遥かに遅れた、宇宙の法則の躾のできていない子どものような今の地球文明では、今はとりあえずできることから始めるしかありません。

現代のおぞましい「金主主義社会」から抜け出すために、半農半Xでも、リユースや物々交換でもシェアでもいい。

コミュニティレベルで脱資本主義の芽を育てましょう。

しかし、それはかつてのソ連や中国のような共産主義・全体主義・国家資本主義に戻れと言っているのではないです。

 

自立と互恵、助け合い、シェア、公正、平和、自然との調和に基づく新しい永続可能なコミュニティ(ニューアースコミュニティ)の創造です。

人間を不幸にする、破滅に向かっているシステムであるグローバル金融資本主義から抜け出すことを意図し選択する人々を増やしていきたいと思います。

 

私たちは本来は、自らの思い、みんなの思いを集めて、現実化できる能力をもった創造者なのです。

こういう世界が現実化する日を、私は切に願い、行動を始めようと思います。

 

(文責・執筆 能村 聡)

 

 








          たきがみ博士の想い

 

誰でも、自分の中に伝統がある。自分が経験したすべての過去の累積、それが”いま”のわたし。

過去とは思いだすこと、現在(いま)は過去の必然、そして、未来は想い、選択すること。

いまは、変えられない。

しかし、人には明日があり、未来がある。明日は、こうありたいと想いを持つことができる。

 

すてきな明日に向かって、”これからへの想い”を具体化するJourney、しっかり楽しみたいと思います。

そして、”いま、ここ”を丁寧に活きる。

みずからの人生の軌跡を、すてきな笑顔でみつめるために。

 

旬(ときめき)亭 亭主 たきがみ博士
  たきがみ博士


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☆他人に期待すれば不満になり、

  自分を信頼すれば自信になる 

☆人間関係とは、他人を通して自分自身

  との付き合い方を学ぶ機会なり 

☆自分の短所を受け入れるとき、

  自分らしさという魅力が生まれる 

☆最も空しい人生とは、

  すべてが思い通りになる人生である 

☆幸せは得るものではなく、気付くもの


☆樹木は、上に伸びる前に下に伸びる 

☆他人との対立は、

  自分の心の中の対立に過ぎない 

☆幸せだから感謝するのではなく、

  感謝するから幸せを感じる 

☆孤独を知らなければ、

  本当の繋がりが分からない 

☆内側から生まれてくる至福は、

  失うことがない


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