運命の原因と結果について、釈迦は「善因善果、悪因悪果、自因自果である」と教えています。
善い行いからは、幸せという善い結果が起こります。(善因善果)
悪い行いからは、不幸せという悪い結果が起こります。(悪因悪果)
大根のタネを蒔けば大根が、スイカのタネを蒔けばスイカが出てくるように、善い行いからは善い結果が、悪い行いからは悪い結果が現れます。
蒔いたタネに応じた結果が、現れます。
蒔いたタネに応じた結果しか、現れません。
仏教では、私たちの行いをタネにたとえ、私たちの行いを「業」と呼びます。
業は古いインドの言葉では「カルマ」です。
一人一人の行いがタネとなって一人一人の運命を生み出していることから、私たちの行いのことを「業種子」と呼ぶこともあります。
(私たちの行い=タネ=業=カルマ=業種子)
私たちが優しい表情や眼差しを心掛ければ、「感じのいい人だ」「優しそうな人だ」と思われ、周りから好かれたり慕われたりもします。
周りを思いやる善い行いが原因となって、好かれ慕われるという善い結果が現れます。
逆に、いつも不機嫌な表情をしていれば、誰も近づいてこなくなります。
自分の悪い行いが原因となって、悪い結果が現れます。
健康になるには、健康になるためのタネを蒔かなければ、健康という善い結果は得られません。
健康医学の本をいくら読んでも、不規則な食生活を続けていれば、健康という善い結果は得られません。
試験の成績を上げたければ、勉強することです。
運動の記録を塗り替えたければ、鍛錬することです。
行いに応じた結果しか、返らない。
行いに応じた結果は、必ず返ってくる。
ヤッホーと呼べばヤッホーと返ってくる山彦のように、自分の行為はすべて自分に返ってくると釈迦は教えています。
幸せという運命は、自分の善い行いが生み出したものである。(善因善果)
不幸せという運命は、自分の悪い行いが生み出したものである。(悪因悪果)
自分の運命のすべては、自分の行いが生み出したものである。(自因自果)
壁に向かって優しい球を投げれば、優しい球が返ってきます。
強い球を投げれば、強い球が返ってきます。
自分に向かって飛んでくる球の勢いは、自分が投げた球の勢いです。
優しい球を望むなら、先ずは自分が優しい球を投げることだと釈迦は教えています。