そもそも江戸時代以前は「医師の資格」さえ国の介入はなく、ほぼ全て自由だったようです。
つまり、現在の大学の医学部教育や医師国家試験のようなものはなく、医師(当時はほぼ全て漢方医)に弟子入りし修行して、そこで師匠から許しが出ればOK(何がOKなのかも流派によって曖昧?)という世界。
でもそれは、今と比べたらやれる医療も格段に少なく、実は江戸時代の市民は現在ほど医療に期待していなかった、ということの表れでもあるような気もします。
そこから明治になり時代が変わります。
医師の殆どは漢方医から西洋医学の医師に置き換わり、医師国家試験によって医師の質が担保(標準化?)されるようになり、同時に医学は質的に急成長します。
グラフで分かるように、左半分の時期、つまり明治・大正・昭和初期までは、死因の上位は結核・肺炎・胃腸炎(腸チフス・赤痢など)の3つが大半を占めています。
つまり日本人の多くは感染症によって命を落としていたわけです。
この状況を一変させたのが『抗生剤』です。
抗生剤によって医学は感染症をほぼほぼ克服します。
結核は不治の病ではなくなり、胃腸炎で命を落とす人は殆ど居なくなりました
もちろんこれには抗生剤だけでなく、ワクチンの普及や清潔な衛生環境の整備も大きく影響しています。
さらに医学は『外科手術』という技術も手に入れます。
病巣を切り取ることによって多くの病気を治すことが可能になったわけです。
僕も20代のころ虫垂炎(いわゆる盲腸)で七転八倒していたところを救急病院での緊急手術で救ってもらったことがあります。
しかしこの盲腸の手術だって江戸時代はなかったわけです…
昔は盲腸ですら不治の病。
命を落としていた方だってかなりおられたはずです。
今の日本では「盲腸で死ぬ」なんてまず無いわけですから隔世の感がありますよね。
これら『現代医学の大躍進』によって「医師を筆頭とする医療業界」は国民から絶大な信頼を得ることになります。
この絶大な信頼を元に『病院の世紀』が形成されていくことになるわけです
(このあたりのことは『病院の世紀の理論』(猪飼周平著)有斐閣 2010、に詳しく書かれています)。
「病院の世紀」では、「医療」が日本人の誰もが唯一異を唱えられない「宗教」になったとまで言う人もいます。
医療が宗教なら、病院は教会・寺院なのでしょうか。
医師は神父・僧侶なのでしょうか。
医学は神なったのでしょうか。
たしかに、この時代に医療は高度に進歩し、多くの病を克服してきました。
しかし一方でこの時代は、医療があまりに専門的に進歩しすぎたため人々は自分の体の状況判断について専門家である「医師」にお任せすることが当たり前になった時代でもあります。
そうした状況は、病院と国民の関係性を大きく変えていきます。
それまでは殆どの日本人が畳の上で家族に看取られて亡くなっていたのですが、1970年代を境に病院死が在宅死をうわまわり、ついには殆どの日本人が病院で治療の末に死を迎えるという時代に突入します。
まさに病院の世紀ですね。
この流れの中で、「病院の世紀」は次第に矛盾を抱え始めます。
なぜなら、これだけ絶大な信頼を得た医療も、実はその得意分野である「感染症」を克服することで、逆に自らの活躍の場が限定されてしまうことになったからです。
日本人の死因上位から「感染症」が大きく後退したあと、そこにあるのは「ガン」「脳卒中」「心疾患」「(加齢に伴う)肺炎」などの、
「完全には治らない病気」
「長く付き合っていく病気」
「加齢に伴って自然に増えてしまう病気」です。
しかも患者の大半は高齢者。
複数の疾患を抱えた方々です。
現在の高齢者は、1週間の抗生剤投与や外科手術でピシャっと治るとはいい難い「慢性疾患」を一つ一つ獲得しながら歳を重ね、長い療養の後にやがて死を迎えるのです。
この段階で実はこれまでのような「治す」医療はあまり出番がない、少なくとも「感染症」の克服で大活躍したあの黄金時代のようには…。
これが「病院の世紀」が転換点を迎える最も大きな要因でしょう。
【ちなみに、この『治す医療の限界』に無自覚のまま、なんとなく今まで通り「先生におまかせします」と言ってしまうと、医師は悪気なく全力をつくすことになり、結果として日本中に『生き生きしていない高齢者(詳述はあえて控えます)』があふれることになりますので要注意です。】
また、「病院の世紀」の時代には、その「医療への絶大な信頼」を背景として日本中に病院が建築されます。
さらに、国民皆保険が整備され、国民は治療費のことをあまり考えずにどこでも医療にかかれるようになります。
これは、国民に大きな利益をもたらした一大事業として高く評価されるべきでしょう。
しかし、同時に日本の医療費は膨張を続けていきます。
いくらなんでもこれでは国の財政がもたない。
ということで、いまから40年ほど前の1980年代に「医療費亡国論」が唱えられ、そのあたりから「医療費上昇の要因」として
「医師数」や
「診療報酬」が問題視されるようになります。
結果として医師数も診療報酬も、国家政策によって制限されるようになりました。
国の立場からすると「医療費が高騰するので診療報酬を抑える」は正論ですが、銀行から多額の借金をして病院を建て、借金を返しながらギリギリの経営をしている民間病院の立場から考えるとそれは容認しかねる話です。
とはいえ、それでも報酬は抑えられる…では病院はどうしたらいい
診療報酬(≒診療一回に対する利益)が薄くなるなら、患者を多く集めて診療回数を稼ぐしかありません。
商売の世界で言う、いわゆる「薄利多売」の方法論ですね。
医療業界は業界全体でその方向に舵を切らざるを得なくなったわけです。
その結果、各病院が患者集めに奔走するようになります。
「質のいい医療を提供して多くの患者さんに選ばれる病院になろう」は表の顔、
その裏には
◯元気で安定した高血圧・糖尿病などの患者も、
『徹底管理』の名目の上で毎月〜月2回受診
◯若い精神病患者が減って精神病院が埋まらなくなったら
10年以上の『長期入院』も容認、
また新たに今後増える高齢者の『認知症患者』を精神病院で引き受けよう
◯高齢者住宅を建てて高齢者を集め、
外来に来てもらうより診療報酬の高い
『在宅医療』を受けてもらおう、
元気な高齢者でも在宅患者として月2回訪問診療しよう
◯寝たきり高齢者も自宅に帰さず
病院で寝ていてもらおう
そんな裏の顔も多く見受けます。
もちろん、いまどきCT・MRIも無いと患者も集まりません。
こんなことが日本中で繰り返されるようになって数十年、知らない間に日本は
病床数世界一(米英の4倍)
外来受診数世界2位(北欧諸国の3~4倍)
CT・MRIも保有台数も世界一(英国の7倍)
……(実際の患者がこんなに何倍もいるわけないのに)
こうして現在の「国際的に見て異次元レベルの薄利多売の世界」が形成されていった。
というのが本当のところなのではないでしょうか。
もちろん、経営を考えればどの病院も常に満床を目指すのは当然です。
銀行も経営コンサルタントもみな口をそろえて「病床稼働率をあげろ!」と言いますから(また、銀行・コンサルタントは昨今、病院が高齢者住宅や介護施設・在宅診療所を経営することを勧める傾向にありますが、これは病床稼働率を上げるための「入院予備軍」としての高齢者を確保する常套手段です)。
しかし、世界一の病床数の日本でみんなが満床を目指せば…そりゃ国の医療費も上がります。
その対策として国は診療報酬をより低く設定せざるを得ないでしょう。
さらに言えば、どの病院も満床を目指しているのでいざ急患が発生してもどの病院も満床で受け入れられず…救急車がたらい回しにされるような現状もあります。
世界一の病床を持っているのにも関わらず「いざ」という時に医療が機能しない。
これらは、まさに『薄利多売』の世界観と『医療市場の失敗』を象徴するものなのかもしれません。
ただ、この「薄利多売」の世界観、日本の医療業界ではごくごく当たり前の「空気」のようなものですので、おそらく殆どの現場の医療従事者には自覚されていないでしょうけど…。
でも、海外の医療から見ると、「日本の医師が1日100人の外来患者を捌き、 何十人もの入院患者を診ている現実」これこそがまさに異常なのです。
ちなみに、「病床数」については「薄利多売の世界観」で増床が繰り返されてきた背景はありますが、近年は「病床規制」が行われています。
それが1985年に決まった病床数の上限規制(第1次医療法改正)です。
ですがこれは皮肉にも、「規制が実行される前に どんどん建ててしまおう」という90年代の『駆け込み増床』を誘発してしまい…
結果、現在まで続く『異次元のレベルの日本の病床数の多さ』の基本骨格がこの時までに形成されます。
(当時から見ると日本全体の病床数は微減していますが、まあ、正直なところほぼ横ばいです。日本の病床数チャンピオンの座は今後も揺るぎないでしょう。)
以上を簡単に整理しますと、
感染症を克服したりして
医療が絶大な信頼を得るようになって
病院がいっぱい出来た。
↓
その一方で医療費が
爆発的に上昇したので
国は医療費抑制に乗りだした。
↓
その結果、
◯病床数は制限が遅れて、
世界最大の病床が出来てしまった。
◯「薄利多売」の世界観が形成され、
外来受診数・CT・MRIなどの
医療提供はきっちり増えていった。
◯その割に医師数もきっちり
制限されたので医師不足(←いまここ)
そう、「薄利多売」の世界観とその基本構造が変わらなければ、
今後いくら医師を増やしても、
◯外来受診数・CT・MRIなどの
医療提供がきっちり増えてしまう…
◯医師がまた忙しくなるだけで
根本的解決とはなりそうにない。
そんな悪循環が大いに予想されてしまうわけです。
海外から見て異次元レベルの医療の量、しかも医師は少ない、そりゃ医師不足にもなるでしょ、じゃ、医師増やそう、そしたらまた医療の量が増えちゃった。
まるで羽生結弦くんの異次元の4回転ジャンプが、さらに異次元の4回転半ジャンプに進化するのを見るようです。
どうしてそうなってしまうのか、その原理を考えると、思いは「医療市場の失敗」に行き着きます。
簡単に言うと、
◯健康保険があるので、自己負担(病院に直接払う額)は非常に安い。
5000円のフランス料理も、自己負担1割なら500円で買える(あとの4500円は保険で払われる)。
それなら1日3食フランス料理(しかも宅配してくれたりして)を食べる、という意識になりかねない(モラルハザード)。
◯パンの安い高い・美味い不味いは判断できても、高度な専門知識を要する医療の世界で、その医療が『良い医療なのか、そうでないのか』は多くの国民には分かりにくい(情報の非対称性)。
仮に分かったとしても、受診は緊急で、しかも一回のみであることが多いので、再現性が低い。
さあ、様々なデータにあたりながら歴史を俯瞰してみましたが…いやいや、なんだかな〜、浅倉みなみ38歳じゃないけど、
「なんだかモヤモヤ」しますよね…。
「命を守る医療なのに、こんないい加減なことでいいのか!」とお怒りになられる気持ちもよくわかります。
「どうしてこんなことになってるんだ!誰が悪いんだ!どの業界があくどく儲けてるんだ!」と犯人探しをしたくなりますよね。
でも…こうした「社会のモヤモヤした問題」。
誰かのせいにした時点で「思考停止」に陥るような気がします。
アメリカの同時多発テロで世界がモヤモヤしている時に、「大量破壊兵器を持っているフセインが悪い」と、悪者を見つけて「イラク戦争」までやって叩き潰したけど、それにも関わらず結局大量破壊兵器はなかった、そして世界各地でのテロはおさまらず、根本的な解決には全然至らなかった…。
悪者を見つけて叩くと気持ちいいんですけどね、でもその気持は問題の本質から目をそむける結果にもなりかねません。
たしかに、医療側も広告や宣伝などで必要以上に需要を喚起したり、情報の非対称性をうまく使って医療供給を増やしたり、反省すべき点も多々あります。
しかし前述の通り、病院の経営者だって雇用している医師や看護師・薬剤師にリハビリのPTOT、彼らとその家族の生活を背負っていて必死なのです。
そんな犯人探しをして、誰かを悪者にして溜飲を下げる、そんなことにもましてもっと大事な、本質的なこととがあるように思います。
そう、なぜ医療市場は失敗するのか、については上記の様な理由がありましたが、実はそれは各論の話。
そもそも論で言えば、国民が
「医療も市場に任せていれば大丈夫」と思っていることこそが、つまり、あなたが「病院がいっぱいあっても 競争に負けたところが 淘汰されていく」という幻想を抱いていることこそが、また
「病院のことや病気のことはよくわからないから先生にお任せしよう」という当事者意識の欠如こそが、本当はそこが問題の本質なのかもしれません。
つまり、病院が悪い、◯◯が悪い、と誰かのせいにして終わり、という話ではなく、「薬を飲む前に、いまの生活習慣で治すべきところはない」
とか
「CTやMRIをただただありがたがって、大きな病院に通ったりしてはいない」
とか
「自分に家族に、本当に必要な医療ってなに」
とか・・・
国民全員が、当事者意識を持って、ゼロベースで考えてみることが大事なんじゃないかな?と思うのです。
「自分に家族に、本当に必要な医療の量」が分かってはじめて「地域に必要な医療の量」を知ることが出来る。
そこから始まらないことには、我々はかけがえのない医療資源を使い果たしながら、どこまでも病院ばかりを求めてしまうでしょう。
家族で、みんなで、本気で考えて、それでもやはり専門家の意見が聞きたい、その時には是非、お近くのお医者さん(出来れば専門医ではなく家庭医)に相談してください。
あなたに、ご家族に「過剰でも不足でもない医療」をアドバイスしてくれると思います。
これからの地域の医師(家庭医)の存在意義はそこにこそあるのではないでしょうか。
僕のブログでは現場の患者さんや地域の方々の声をたくさんお届けしていますが、それはぼくが医師として
「地域の方々の良き相談相手」
「わかりにくい医療の世界の翻訳家」でありたいと強く願っているからです。
せっかく経済学部まで出て医師になったのに、「薄利多売」の構造に巻き込まれて血圧と糖尿の薬を出すだけの毎日じゃ、つまらないですからね。
ほぼボランティアなのでまったく儲からないんですけど(^_^;)
でも・・この僕の考え方、今の世の中ではちょっと突飛かもしれませんね(^_^;)
皆さんはどう思われるでしょうか。