お母さんが、息子に、スーパーから「卵」を買ってくるよう、使いを出しました。
その息子、卵の代金を払い終った後、不注意で、買った卵を床に落としてしまいました。
そうしましたら、店員さんが走って駆け寄ってきて、 「服は汚れていませんか、靴は大丈夫ですか」と言われ、「大丈夫」と返すと、
「新たに、同じ卵を持ってきますからね」と言って、新たな卵を渡されたという。
この顛末を息子から聞かされたお母さんが、そのスーパーに電話をして、 「息子がお世話になりました、息子が割ってしまった卵の代金を払いますので、これから行きます」と言いますと、 「はい、ありがとうございます。
しかし、改めて、お客様にお支払いいただくことは結構でございます。
お気遣いいただきまして、ありがとうございました」と返ってきました。
これは、そのお母さんから、直接、私が聞いた話を簡略にまとめたものです。
ここにあるものは「情け」です。
相手を思い、気遣う、そして愛しい者として「慈悲」を共有する情緒に生きている人です。
これこそ、本来の日本人です。
親子の関係に「情け」を感じるのは「哺乳類」だけであり、 親子だけではなく、他人にも「情け」を覚えるのが「人間」です。
西洋「文迷」に汚染されるまで、日本人は、まっとうな「人間」でした。
日本人の習俗・生活が、「自然の摂理」に適合した共生を実践し、心身ともに健康なものであることは、江戸時代から明治初期に日本に来た多くの「西洋人」が、驚きとともに絶賛していることから知ることが出来ます。
彼らにしてみますと、自分たちが失ってしまった「地球遺産」を現実に目にした「驚異」であったのでしょう。
更に、彼らは、このような「遺産」を破壊して、日本および日本人を、彼らの支配下にしておかないと、夜も安心して眠れないと決意したのでしょう。
1546年「以後よろしく」、ザビエル来日以来、日本は「西洋文迷」に少しずつ、確実に汚染されていきます。
明治維新は「維新」ではなく、「西洋」に占領され、その傀儡政権の誕生でした。
西郷隆盛(薩摩)は、西洋を「野蛮」と喝破しました。
大久保利通(薩摩)は、西洋を「文明」と酔いしれました。
ご承知のごとく、その後の日本は、「大久保」路線の後継者である伊藤博文(長州)とその末裔による傀儡政権が、今日まで継続されてきています。
政権が「このような体たらく」であれば、国民も同様です。
敗戦後は、この「遺産」が根絶させられました。
家族制度が否定され、家族という絆さえ捨て去られ、個「人」に分割させられました。
男女同権と言い、「雄と雌の区別・役割分担」という「自然の摂理」さえ、踏み躙られ、 結婚制度そのものまで、葬り去られようとしています。
これに代わって、登場してきたのが「拝金主義」と言う「悪魔教」です。
つまり、ザビエル以降、日本人は「悪魔教」に取り付かれてしまいました。
食生活・食べものも「日本人の伝統食」から、大きく離脱して「西洋」の真似ごとに走り、 飽食を謳歌して、栄養失調になり、自然治癒力が低下し、がんを始めとする生活習慣病や精神病に苦しみ、(病気を根治できない)西洋医学という「幻想」にすがり、心身ともに搾取されています。
そして「ポイ捨て」されています。
これこそ「悪魔の連鎖」です。
人々は、運命共同体から切り離された個「人」ですから、 頼る人も無く、絶えず、不安で、イライラし、 自己の正当性だけを主張しなければ、生きてはいけない状況に追い込まれています。
しかし、権力には弱く、権力に立ち向かうことができない、その「ストレス」を、自分よりの「弱い立場」にある人たちに爆発させ、ストレスを発散し、自分の正当性を確認して、一人「酔い痴れ」ています。
親子にも「情け」は消え、 親は「子」を「溺愛」したり、「お荷物として無視」するかの両極端に走りますが、 子供にとっては、どちらも同じ「仕打ち」であり、本来の「情け」を懇願しているのです。
「情け」を取り戻しましょう。
あらゆる生命は、自分が一番愛しいのです。
その自分が愛しいのであれば、まずは「他人」を愛しいと思いましょう、 これが「慈悲」であり「情け」です。
人は「人」(人に支えられている)であり、一人では生きていられません。
あらゆる生命も支えられて生きています。
「共生」という「自然の摂理」に従順に生きていくことでしか、健康な心身を満喫し、維持していくことはできません。