青天の霹靂のような「がん宣告」を受けた時、真っ白になった頭に、とっさに浮かぶ叫びが「死にたくない!!」だと聞きました。
「がん=死」という刷り込みがあるから、がんだとわかった瞬間に「死にたくない」と思ってしまうようです。
とても素直な反応だと思います。誰もが理解できる心境です。
「死にたくない」は、正確には、「今は、まだ、死にたくない!!」ですよね。
いくつになっても「今は、まだ、死にたくない!!」ようです。
母が入居していた老人ホームには、90代の元気なお年寄りがたくさんいらっしゃいました。
元気な時に「生き過ぎたから早くお迎えがきて欲しいねぇ」と、口癖のように言っていた98歳の方が、体調を崩して死を意識した途端「今は、まだ、死にたくない!!」に変わりましたから(^^;
この世の最高の富と権力を手にいれた皇帝たちも、究極の宝探しは「不老不死の妙薬」でした。
誰でも感じる「生き続けたい」感情を、私は「DNA=肉体の叫び」と感じています。
私は、人には「肉体」と「心=魂」があると思っています。
「心=魂」は、今の肉体を離れても、多分、転生して存在し続けると思います。
一方の肉体は、両親のDNAが奇跡的に作り出した「唯一無二の存在」です。
人類史上で、たった一人の存在です。死んでしまったら永遠に消滅します。
だからこそ、肉体は、生きることに執着するのだと、私は感じます。
それは、悪いことではありません。
生きたい意欲が強くなければ、人生における多種多様なアクシデントやトラブルやストレスの中で生き残ることが不可能だからです。
肉体が「生きたい!」と渇望するからこそ、病気の治癒ができるのだと思います。
「生き続けたい!」という強い意志は、免疫細胞にもたくさんのパワーを与えることでしょう。
がんになって「生きたい!」と思う時、たった一つだけ、不都合ことがあります。
意識が「生きたい!」と思う時は、潜在意識の中に「生きられないかも…」という不安や、「死んでしまう」という恐怖心があるということなんです。
「生きたい!!」と必死に思う時は、同じ強さで「死ぬかも!!」と怯えている時です。
さらに「生きたい!」という気持ちから、「がんなんかに負けない!」「がんと闘う!」「がんを治す!」という闘争心が芽生えます。
潜在意識的には「がんに負けるかもしれない…」「がんに殺されるかもしれない…」「がんは治らないかもしれない…」という、強い恐怖心が芽生えたことにもなるんですけど(^^;
それは、がん治癒にとっては逆効果です。
だからこそ「がんは治った!!」と、到達点を先取りして意識し、妄想たくましく、がんが治った楽しい状態をイメージして、日々を明るく過ごすことが大切だと言われます。
潜在意識ごと「がんは治った洗脳」をしてしまうと、肉体は本当に、治すために働き始めるそうです。
「死」という意識を消すことで、がんに向き合う心と体が、柔らかくなります。
余命宣告をされたら、そんな呑気なことは言っていられないのでは…と思われるかもしれませんね。
「余命半年」は、「あなたは半年後には死にますよ」と死刑宣告されたのと同じように感じますから。
私も長いこと勘違いしていましたが、「余命」とは「生存期間中央値」とも言われ、例えば100人の同じ状態の患者さんがいた時、50人目が亡くなった時点のことなんです。
「余命半年」ならば、同じ状態の患者さん100名がいた時に「すぐに亡くなる人から、何年も生き続ける人までいる中で、50人目の人が亡くなる時期が半年目あたりですよ」という意味です。
その前後で亡くなる方が多いとしても、全員が、一斉に、半年後に亡くなるわけではありません。
一人、二人と亡くなっていく順番で、50番目の人が亡くなるのが半年目なので、「余命半年」を体現するのは、たった一人=50番目の人ということになります。
「余命宣告」の意味がわかってしまえば、死刑執行のような死の呪詛から解放されると思います。
100人の後半の長生き組みに入れば問題ないんです。
そのためには、死のイメージから離れ、「がんは治った!!」と決めて、楽しい日々を過ごして生命力や免疫力を高めることは、私は理にかなっていると思います。
例え100人の前半組になってしまったとしても、脳梗塞や交通事故のように、予想外のある瞬間に死を迎えるのではないので、今までの人生の記録を整理したり、懐かしい友達を訪ねたり、遺産問題を片付けたりと、いわゆる「終活」ができ、がんは人生の良い終わり方だと言われます。
生まれた以上は「死亡率100%」ですから、より良い終わり方をしたいですよね。
「死亡率100%」が理解できてしまうと、「もっともっと生き続けたい!」から、「もっともっとより良く生きたい!」に、意識が変わってくるように感じます。
「死亡率100%」だから生きることを放棄するのではなく、限りある生命体だからこそ、生きられる時間をより自分らしく、より楽しく、より素敵に生きたいと思うのです。
その意識になった時には、がんがあったとしても、治療による後遺症があったとしても、どんな状態であったとしても、そこからのスタートで、より自分らしく生きたいと願います。
「がんと闘う」のではなく、「がんと共存する」、さらには「がんに自分らしい生き方へ導いてもらう」ような心境になり、おびえないで、自分のがんと向き合えるようになるようです。
「死にたくない!」「生きたい!」という想いは、とても大切な、とても本質的な生命力パワーですが、がん治療の場合は、生への執着が強すぎると、死への恐怖心へ裏返しになってしまいます。
恐怖心でコチコチに固まった心身では、治癒力が体内を巡ることを邪魔してしまいます。
「今は死にたくない」から「いつかは!00%死ぬのだから、今を大切に生きよう」にボタンをかけ直すと、がんと向き合う世界が、全く変わってくると思います。