ここ数世紀の間、いろいろな病気が、この地球上に蔓延した。
十四世紀のライ病、十五世紀のペスト、十六世紀の梅毒、十七・八世紀の痘瘡、十九世紀の猩紅熱(ショウコウネツ)と結核などが、その代表的なものだ。
それらは、いまとなっては、もう骨董的な病気となりつつある。
だが、いったい、何が、それらを過去のもにしたのであろうか。
「医学か?」「ノー」、「では薬か?」「ノー」である。
医学や薬剤が、それを鎮圧したのではなかった。
猛威をふるい、何十万、何百万という犠牲者がでたあと、これらの病気は、どこへともなく自から消え失せてしった.....というのが真相である。
なぜか
もともと人間の体質とは、流動的なものであり、また、それは、歴史とともに変化するものだからである。
疑いもなく、その時代の生活様式や食生活の内容が、体質を変えてゆく。
だからその体質に宿る病気も、自然に、移り変わってゆく。
次の時代の体質は、もはや前の時代の病気を宿し得ないような体質にまで変わってしまう。
そのために、次々と新しい病気が登場しては、自然消滅していくのである。
いつの時代でも、その時代のオーソドックスな医学は、その時代の疫病に対してほとんど無力であった。
いま、毎年、三百万人(2015年880万人)の命を奪っている「20世紀のガン」も、歴史的にみれば、そのような病気の一つである。
それは、現代医学、生物学、栄養学などの間違った知識が、二十世紀人を、ガンにかかりやすい体質に追い込んでしまった結果である。
だから、その間違いを知り、生活条件や食物を変え、そして体質改善をはかること以外に、その根本的な対策はあり得ないのだ。
一方、私は、現在の「ガンの定義」や「ガンの概念」は誤りであることを、かねがね医学的な立場から指摘してきた。
その人のウィーク・ポイントにできるガン腫は、血液の汚れに対する一つの適応反応としての組織増殖であり、その主たる生理機能は、血液の汚れを解消するための、いわば「浄血装置」である.....とみなしている。
こういう考え方に立てば、ガン腫の存在は、むしろ感謝されるべきものでこそあれ、決して恐怖の対象とならないはずだ。
この際、「無病短命、一病息災」といって、病気や症状を「善」とみなす東洋医学的なものの考え方も、ぜひ学びとる必要があろう。
ともあれ、どんな病気の場合でもそうだが、医師や薬品が病気を治してくれるのではない。
自分がこしらえた病気を、ほんとうに治し得るものは、自分の自然治癒力だけである。
ほんとうの医師とは、その自然治癒力を補強するための具体的な方法を教えてくれるだけである。
ほんとうの薬(正しい食物や漢方薬など)は、この自然治癒力を目覚めさせたり、賦活したりするものである。
いずれも、ただ、それだけのことで、けっきょくは、自分自身で解決をしなければならない問題なのだ。