ロイヤル・レイモンド・ライフ博士。
これほど、医療において革命的な発明・発見をした人物は いないと言っても過言ではありません。
医療の正史には決して出てこない、 抹殺された天才の壮絶な人生
ガンは光で簡単に殺すことができた!
ライフ博士は、すべての物質と同様に、目には見えないレベルでウイルスもそれ独自の振動数で、振動していることに着目しました。
そして、そのウイルスと共振する周波数の光を照射して、ウイルスをさらに振動させました。
微生物がその構造的な形を維持するのに耐えきれなくなるまで照射レベルをさらに上げてやると、ウイルスの形は歪み、崩壊してしまうのです。
ライフ博士は、この周波数を「致死反応振動数(MOR)」とよびました。
そして、 この「致死反応振動数(MOR)」の光は、ウイルス以外の周りの正常な細胞には、いっさい害を与えないのです。
また、 電気を使用した治療法なので、実質的にわずかな電気代しかかからないため、治療費もたいへん安いものでした。
脱毛などの副作用に苦しんだりすることもなく、患者は、すみやかに治療されて、無事に家族の元にもどれるのです。
抗がん剤を用いた化学療法や放射線療法や外科手術のように命を危険にさらす必要もありません。
この治療法の仕組みは、ワイングラスをある特定の音波で、破壊できることに似ています。
目には見えませんが、ワイングラスの分子は、すでにいつも特有の音(その音波のいくつかの高調波と同じ振動数)で振動しています。その音と共鳴しているのです。
全てのものは、その物質個有の振動数で振動しているので、その音波で破壊されるのは、そのワイングラスだけです。
まさにありとあらゆる全てものは、他とは異なるそれ固有の共鳴振動数を有しており、それこそありとあらゆる周波数が在しているのです。
ライフ博士が開発した顕微鏡でウイルスの生態の観察に成功した
この技術を完成させるのにライフ博士は、ヘルペスや小児麻痺、脊髄膜炎、破傷風、インフルエンザなどを含む数多くの危険なウイルスなどの病原菌を破壊する特定の周波数を発見するために一度に丸二日( 48 時間)通しで働くという生活を長年行っていました。
1929 年、
「ライフ博士が開発した顕微鏡でウイルスの生態の観察に成功した」という新聞記事が出ると、アーサー・ケンダル博士が友人のミルバンク・ジョンソン博士にライフ研究所を訪問して、本当か確認してくるよう依頼しました。
依頼の通り研究所を訪問した、ミルバンク・ジョンソン博士は、ライフ博士の先進的な研究に興味を持ち、協力者となりました。
また、アーサー・ケンダル博士も、ウイルスを培養して、生きたまま観察できる培養液(K- medium) を開発し、ライフ博士と共同研究をはじめました。
そして、 1931 年 11 月 20 日には、ミルバンク・ジョンソン博士による晩餐会が催され、米国内で最も尊敬される医学界の権威である 44 人が、ライフ博士とアーサー・ケンダル博士の共同研究の功績を祝いました。
1934 年、南カリフォルニア大学は、特別医療研究委員会を設立して、ミルバンク・ジョンソン博士のパサデナ郡立病院の末期がん患者を対象にライフ博士の研究所でがん治療実験を実施しました。
その研究チームには医者や病理学者が加わり、患者の診察を行いました。
3 カ月の診療の後、委員会は 86.5 %の末期がん患者が完全に治癒したと報告したのです。
さらに治療は継続され、残りの 13.5 %の患者も4 週間後にはこの治療によって完治してしまいました。
ライフ博士の技術による治癒率は何と 100 %だったのです。 現代の最先端治療でさえ、がんの平均治癒率は、15 ~ 30 %と言われていますから、この数値が、どれほど驚くべきものかおわかりになるでしょう。
ライフ博士の研究所からフィルムや写真や研究書類の 多くが盗まれました。 しかし、容疑者が逮捕されることはありませんでした。
悲劇の兆候は、まずライフ博士を買収することから始まりました。
1934 年 には、米国医師会の株式をすべて所有していたモーリス・フィッシュベイン氏が、弁護士をよこして、ライフ博士の治療法の独占権を渡すよう要求しました。
しかし、ライフ博士は、それを断ったのです。
まず、ライフ博士の研究所からフィルムや写真や研究書類の多くが盗まれました。
しかし、容疑者が逮捕されることはありませんでした。
そして、ライフ博士の研究を立証するため、何億円もかけて設立されたニュージャージー州のバーネット研究所が放火されたのです。
これによって 、ライフ博士も窮地に立たされました。
というのは、コンピューターがなかった時代にこれらのデータを復元することは大変なことだからです。
さらに、ライフ博士の貴重な顕微鏡は何者かによって、破壊され、 5682 もの部品が盗まれました。
そして、最後にとどめを刺したのは、警察による令状なしの捜索と違法な没収です。
これにより、 50 年に渡るライフ博士の研究の残骸もすべて処分されてしまったのです。
結論として、ライフ博士の生涯をかけた研究と大発見は無視され、潰されただけでなく、おそらくは、ライフ博士とともに埋もれてしまったものと思われます。
ライフ博士の最後の 3 分の 1 の人生は、アルコールに溺れたものでありました。
無駄になった 50 年の研究生活からくる精神的な痛み、またすべてを鋭敏に知覚できる意識は、膨大な利益を手にする少数の既得権益者たちの傍らで、無為に苦しむ何百万もの人々を、酒の力なしで、忘れることはできなかったのでしょう。
1971 年、ライフ博士は、バリウム(精神安定剤)とアルコールの過剰摂取により帰らぬ人となりました。 83 歳でした。
ライフ博士は、自身の発明した治療器の特殊な光の照射を浴び続けていたため、アルコールの乱用にもかかわらず、これほど長生きできたといわれています。
ガン細胞は35・0℃で一番増殖し、 39・3℃以上になると死滅することがわかっている・・・ ・ 世界ではじめて発表されたガンの自然治癒例によれば、 ガンに罹患(りかん)後、自然治癒した人全員が、 丹毒(急性の皮膚細菌感染症40℃以上の発熱がある)や 肺炎にかかって発熱した人だった。
ライフ博士の学説とピタリと一致します。
つまり、39・3℃前後あたりにガン細胞の共振域があると言い換えることも出来そうです。
ここでは、温度―赤外線の周波数に置き換えられるのではないでしょうか。
ライフ博士は、これを光を使ってやろうとしました。光の周波数と言い換えたほうが適切でしょうか。
ガン細胞を死滅させる赤外線の周波数を光の周波数に変換出来たとしたら、ものすごいことになりますね。
長い時間、熱い思いをしなくても簡単にガンを死滅させることが可能となります。
恐らく、ライフ博士は、これを実践していたと考えられます。
ガンには様々な原因がありますし、ガンそのものも、良性があったり悪性のものがあると云われています。
ガンになるのは、先ず、原因がある訳です。その原因によって体質が劣化して様々な病気を発症することになります。
ガンはその悪化した体質から生まれて来るものです。ですから、ガンだけを退治しても駄目です。
原因を遠ざけ、且つ、体質を改善していく努力が必要になって来ます。同時に、生活習慣も変える必要があります。