カネとは、信用だ。
モノを手に入れる、人に貸す、ビジネスを進めるなど、必要な求めに応じてくれる信用を、国家が数値で保証している。モノとしての実体なんて、別になくてもかまわない。
信用、それ自体が本質なのだ。
だから「カネがなくて困っている」というのは、「信用がなくて困っている」という意味と同じだ。一時的に借金をすれば、解消できるわけではない。
信用をいかにして取りもどすかという考え方をしていかないと、カネで困る人生は、いつまでも続く。
銀行預金についても、多くの人は誤解している。通帳に記帳されている残高は、あなたの貯金ではなく、銀行への貸付金と捉えるべきだ。銀行に貯金するのは、銀行にお金を貸しているということ。その対価として利息を受け取っている。
銀行のバランスシートでは、負債の部に預金があり、資産の部に現金が計上されている。銀行から見ると、預金は負債ということ。そして銀行は、負債を企業だとかいろんな組織に貸し出し、そのスプレッド(金利差)で稼いでいる。銀行にとっては一般市民の預金は負債という扱い。この事実は意外なほど、常識とされていない。
カネとはそういうものだ。貯金だと思っていたら、負債だったりする。
1万円紙幣はあくまで紙切れにすぎず、その紙切れ自体に1万円の価値はない。あくまで1万円の消費活動を可能にする、信用が付与されているだけのことだ。
実体があるようで、まったくない。それがカネの正体だ。
あなたが進めている取引も詐欺かもしれない
カネは実体のない、単なる概念。
なくなったら借りればいい。ただし違法なカネ貸しは論外。他に安全な借金は、いくらでもある。言いたいことはそれだけで、ほかに本質はない。
でも、やっぱり世間の人たちは、札束がカネだと勘違いしていて、財布の中の紙幣を殖やしたがる。言ってみれば、「お札教」が、世界で最も影響力のある宗教なのかもしれない。
お札信奉者たちは、マインドコントールにかかったかのようにカネ、カネと唱え続けている。ウシジマや現実社会の詐欺師たちは、そういった人々の信仰心を巧みに利用して、搾取や詐取、闇ビジネスを展開しているのだ。
信じていて幸せだというなら、仕方ないけど、お札教の影響力はあまりにも強いから、アホみたいな詐欺師が、何の苦もなく大儲けできる世の中だ。
残念ながら、詐欺師たちは、信用を巧みに捏造できる生き物だ。捏造だろうと何だろうと、信用が得られれば、カネを動かすことは難しくない。
詐欺は違法には違いないのだが、何をもって本当の信用なのか詐欺なのか、はっきりした境目が存在しないから厄介だ。あなたがこれから進めようとしている仕事の取引だって、100%その可能性を否定できないはずだ。
本当は詐欺または詐欺的な行為なのに、信用のプレゼンが上手いだけで、社会的な地位でも経済的にも大成功している輩は大勢いる。逆に本物の信用に足るビジネスをしているのに、周りが「あいつは詐欺師だ!」と言い出すと、途端に詐欺師としか見られなくなってしまう。私などは、かなりひどく叩かれた方だ。
詐欺師が人を騙す信用の構造と、人々がカネを盲信する構造は、皮肉なことに、よく似ている。
どちらも実態のないものが、ありがたがられている。
「価値がある」「保証されている」と世間の誰もが言うから、信用しているにすぎない。信用の本質の部分は、必ずしも問われていないのだ。