人間は、自分をどんなに与えきっても、どんなに人のためになっても、どんなに他を幸福にしてあげても、自分がそのために減ってしまうということは決してないのだ。
それどころか与えれば与えるほど、こんこんとしてわが生命は湧き出てくるのだ。
それは本来、わが生命は他の人の生命と一体(一つ)であるからだ。
他の人の喜びのうちに本当は自分の喜びを見るからであるのだ。
自己を与えることによってのみ自己は拡大する。
自己と他とは一体である。
それは一つの大生命から湧き出てきた生命の兄弟であるからだ。
他のために尽くすことは、結局自分のために尽くすことに他ならないのに、人間が直接自分に利害関係のないように見えることに働くことを、生命の浪費であるかのように思い、人のために親切であることを自分の損であるように思っているのは、自他を隔てている肉体の殻にとらわれているからだ。
卵の殻を割るように、自他を隔てている殻を破れ。そこに最も我々の魂にとって必要な養分が見いだされるのだ。
まだまだ多くの親切を人に与えよ。
まだまだ多くの称賛を人に与えよ。
まだまだ多くの生命を人に与えよ。
諸君よ、見えざる親切をすることを惜しいと思うな。
それは天に宝を積むことだ。
天に宝が積んである人は、自身がもし困るようなことがあれば必ず誰かが助けに来るものだ。
しかし、自分の困るときに助けてもらいたいと思って他に親切をするな。
それは消極的な考えだ。困るときが来るかもしれぬと予想することは、「困る時」を呼ぶことになるのだ。
与えるときは、ただ与える喜びのために与えよ。
与えるほど自分は成長する「生命」だという自覚を持ちながら与えよ。
与えることによって何ものも減るものではないという信念によって与えよ。
これがその人の成長の秘訣だ。
常に心掛けて、接する人々を少しでも喜ばすような行為をせよ。
一足の下駄をそろえるのも喜びであれば、揃えられる親切を受けるのも喜びである。
一枚のちり紙がなくて困っている人間を見出したら一枚のちり紙を与えよ。
下駄の鼻緒が切れて困っている人を見出したら、一筋の紐を与えよ。
にわか雨に困っている人には自分の傘の半分をその人に譲れ。
苦しんでいる人には親切な言葉をかけて力を与えよ。
少しでも接する人々の心を光明で輝くように導け。
失望している人には希望の言葉を投げかけよ。
会う人ごとに好意と親切とを撒いて歩け。
常に好意の微笑、親切の表情を撒いて歩け。
朗らかに相手の長所をほめよ。
これらは相手を幸福にするだけでなく、自分自身を幸福にする道であるのだ。
反対に、人の弱点をとらえるな。
欠点を見つけるな。
隠そうとしている秘密を暴くな。
イヤ味や皮肉を言うな。
あまりに犀利な批評を浴びせかけるな。
病人に失望するような言葉を語るな。
苦しんでいる人を失意せしめるようなことを言うな。
暗い表情をするな。
猜疑の眼をもって人を見るな。
人を排斥するな。
軽蔑するな。
これらはみな誰にでもできる「親切生活」であるのだ。
多くの人間はパンにも飢えてはいるだろうが、「たましいの親切」にはいっそう飢えているのだ。
われらは刑務所へ行けばパンに飢えることはないとは知りながらも、刑務所へ行きたがらないのは、刑務所には「たましいの親切」がないからだ。
富豪の家庭などで少しもパンに飢えることがないにもかかわらず、夫人や息子が自殺したりすることがあるのも「たましいの親切」に飢えるからだ。
魂が親切に飢えるとき、人間はこの世に生きていられなくなるほどに寂しくなる。
かかる人間にとっては金や寿命などは、魂の親切さに比べると破れた瓦に等しいのだ。