がんが自然に治る生き方という著書のあるケリー・ターナーさんは、がんが劇的な寛解について記した医学論文は1000本以上分析しました。
その中の100名に実際にインタビューし、劇的な寛解において重要な役割を果たしたと推測される要素(身体、感情、内面的な事柄)が
75項目、浮かび上がりました。
75のうちの上位9項目は、ほぼすべてのインタビューに登場していることに気づきました。
語られる頻度のもっとも高かった9つの要素については、ほぼ全員が、「がん治癒を目指して実行した」と言及していたのです。
がんを生き残った、ほぼ全員が実行した9項目は以下の通りです。
・抑圧された感情を解き放つ
・より前向きに生きる
・直感に従う
・自分の魂と深くつながる
・治療法は自分で決める
・「どうしても生きたい理由」を持つ
・ハーブとサプリメントの力を借りる
・抜本的に食事を変える
・周囲の人の支えを受け入れる
ひとつずつ見ていきましょう。
・抑圧された感情を解き放つ
抑圧し続けた感情があるわけです。何か外部の価値観に従って、自分を押し殺してきたわけです。
その自分の中にある、煮えたぎる感情に正面から向き合うことです。
「問題がないフリ」をしても何も解決しませんからね。それは、いつも自分の「マイナス感情」が教えてくれます。
明るく楽しく喜びに満ちて生きている人は、病気にならないのです。
自分の中に笑って生きられない「何か」があるのです。
それは「なぜなのか」、その不安定な感情の源は「何なのか」。
それは「本来の自分」とは何の関係もないものです。それに気づき、正面から向き合いことが、第一歩です。
・より前向きに生きる
今まで、なぜ「マイナス感情」をたぎらせてきたのか、そのマイナス感情の原因となっている、もの、ひと、出来事に「自分が」執着していたからです。
その、もの、ひと、出来事に「自分が」依存してきたからです。
その依存と執着を手放し、「自分には別の選択がある」と気づくことが「より前向きに生きる」ことです。
「ゆるす」こととは、それに対する見方を「ゆるめる」ことです。
「ガチガチの思い込み」を「ゆるめる」ことが「ゆるす」ことです。
やり場のないマイナス感情は「自分には他に方法がない」と思い込んでいることから生じます。
よりよい選択肢があることに気づけば、ただそれを選べばいいだけです。
そして、どのような状況にも、「必ず」よりよい選択肢があります。
それに気づき、それを選ぶことが、「より前向きに生きる」ことです。
・直感に従う 自分の魂と深くつながる
その選択肢を選ぶ基準は何なのか、直感ですよ! 自分が「いいと感じる」ことです。
「抑圧された感情」「執着」を手放した、クリアな心で感じる直観。それに素直に従ったのです。
生存者の共通点は「自分の魂と深くつながる」ことです。
「〇〇ねばならない」と思っている「執着心」のある心では、「マイナス感情」のさざ波が立ち、誰の中にもある、自分自身の真のナビゲーター「自分の魂」につながることができないのです。
「執着心」を手放すことによって、抑圧した「マイナス感情」を解き放ち、穏やかで平安に満ちた心に浮かびあがる「直観」、それが魂の声です。
それが、「自分の魂と深くつながる」ことです。
・治療法は自分で決める
そして自分の「直感に従って」決めた治療法を選らぶことを「自分で決めた」人が生き残ったのです。
「自分で決めた」人が生き残ったのです。
「自分で決めた」人が生き残ったのです!!!
いいですか!
「自分で決めた」人が生き残ったのです。
医者に勧められた治療法を選んだ人ではなく、
社会常識の治療法に従った人ではなく、
家族の勧めに治療法を選んだ人ではなく、「自分の直観に従って」「自分で決めた」人が生き残ったのです。
これはどのような治療法を選ぼうと、関係ないのです。
生き残った人、「すべて」に共通する点なのです。治療法は問題ではないのです。
「自分の直観に従って」「自分で決めた」人が生き残るのです。
そして、これはガンからの生還に限ったことではないのです。すべての病気に共通することです。
「すべての人」に共通することです。
これからの地球に生きていく人は、すべて「自分の直観に従って」「自分で決めた」人です。
どのような生き方を選ぶかは、問題ではありません。「自分の直観に従って」「自分で決める」ことが大切なのです。
自分に目を向け、自分に問いかけ
自分で選び、自分で納得する生き方を
誰がなんと言おうと
大切にしていきたいなぁと思います。
自分に対しても、子供に対しても、誰に対しても、今大切なのは、それ「だけ」です。
このガンの生存者の共通点は、そのことを示しています。
「本当の自分」を取り戻すためには、「不安、恐怖、怒り」から行動せず、内なる喜びから行動する。
メールをいただきました。「私は、家族の浄化に挑んでいました。始めは、いまいち出来なくて、どうすればいいのかと。
それで、先ずは深呼吸と瞑想。
そして神様に家族の浄化が出来るように頼みました。
そしたら、出来るようになりました。まだまだムラがありますが、主人の浄化は出来るようです。
心の波風をたたせないってかなり冷静を保たねばならないようです。
でも!出来ない事はない!!私には、瞑想が必要とかなり思いました!!
瞑想は、頭の中がスッキリし自分の計画設計や悩みを持っている方のピンポイントを明確にできる閃きがきます。
合っているのか?どうなのか。自分の閃きを信じて行きます!
どんな考えも、全て1人1人違うので、外れはないわけですから、臨機応変に考えてその人らしい人生を見つけていければいいという事ですよね。
自分を解放させる! とても素晴らしい気づきです。
>先ずは深呼吸と瞑想。
私は今まで「瞑想」という言葉を使ってことなかったと思います。
「瞑想」というと特定のポーズをしたり、特性の方法でなければならないと考えてもらいたくないからです。
しかし、「心の雑音を沈める」というのは大賛成です。
私はお気に入りの紅茶を飲んだり、自転車に乗ったり、公園や海辺を散策したり、多くのそういうお気に入りの方法があります。
実はPCデスクの前の目をつぶりそのまま静かに過ごすこともしばしばです。
それを瞑想というのなら瞑想です。
ぜひご自分なりの「心の雑音を沈める」方法を見つけてください。
(むかしは結跏趺坐を組んだりしたこともありましたが、今はそういうことはしませんね)
古来より瞑想の重要性は指摘されてきました。それは「本当の自分」に気づくためです。
少し解説します。
私達の身体は38億年の進化を遂げて自律神経によって、人間が意図しなくても完璧に健康に機能するようになっています。
私たちが病気や不幸になるのは、不自然な身体の使い方をしたり、不自然な考え方、生き方をしているためです。
安保徹先生は病気の原因は100%ストレスと指摘されています。私もその通りだと思っています。
ストレスとは「本当の自分」ではない、不自然な考え方、生き方から生じています。
その不自然な考え方はどこから仕入れたのか、それが正しいと考えてきた親や先生や社会からです。
もし彼らが幸せそうな顔をしておらず、心に「不安、恐怖、怒り」があり、病気になるならば、彼らの考え方、生き方には不自然が部分があるのです。
その彼らの言う考えを受け入れていたら自分も彼らと同じように病気になるのは当然のことです。
自分の生き方はその人が選びますから、ご本人以外は変えることができませんが、もし彼らが変えたいと思った時、この病気や不幸から解放されたいと思った時、浄化と気づきでお手伝いするのが「力の使い手」です。
不自然な考え方、生き方とは「本当の自分」になること以外のすべての生き方のことです。
「不安、恐怖、怒り」に支配されて生きる、お金のために生きる、世間体を気にして生きる、誰かの期待に応えるために生きる、○○ねばならないという考えに従って生きる、自分は○○しかないと思って生きる・・・・・
テレビをつければ、やれ事件が起きた、世の中はあぶない、病気に対策が必要だと、人を不安にする情報があふれています。
私たちはそういう「本当の自分」以外の情報に振り回されて生きています。
だからあれほどCM放映料が高額なのです。なぜなら、CMでおいしそうにかぶりつけば確実に消費が増えるからです。
私たちは自分でそれを食べたいと思っているかもしれませんが、実に多くの行動を誰かに無意識に「選ばされている」のです。
社会や周囲の人は、あなたが「本当の自分」であることに何の関心もありません。
ただ社会にとって、会社にとって、家族にとって「役立つ人間」であって欲しいだけです。
ですから、社会、会社、周囲の人は色んな「常識」を使って、自分の意図に誰かを沿わせるための情報を大量に流しています。
ふだんそういう情報にどっぷりつかっている私たちは「本当の自分」の声がすっかりわからなくなっています。
ですから、そういう外から仕入れた情報をわきにどけることが大切なのです。
それが「心の雑音を沈める」ということです。
「本当の自分」は何を求めているかということに耳を傾けることです。例えば「心の雑音を沈める」と、目の疲れを感じることがよくあります。
私たちはスマホやモニターなどを長く見つめ、目が緊張して疲れていることさえ気づかなくなっています。
それはひとつの「本当の自分の声」といえます。
そういう時は、目を意図的にリラックスさせ、緑豊な散歩道を歩いてみたりすることが大切です。
それは「目の使い方がよくないよ」という身体からのメッセージなのです。
それを無視して、長い間不自然な使い方を続けていると当然視力が低下します。
「お金が目的でなければ何をしたいですか?」という記事を書きましたが、まさにそういう「本当の自分」に気づくことが「心の雑音を沈める」ことなのです。
私たちは、不安、恐怖、怒り、から考え発想すると、そういうことを現実化してしまいます。
思うことが現実を創造するからです。
ですから自分の人生を幸せなものにしたければ、自分の心を幸せな状態、すなわち「不安、恐怖、怒り」のない状態にすることが大切なのです。
「心の雑音を沈める」ことで、平穏で穏やかな、まさににっこりしてお茶をいっぱい飲むような心境で「ああこんなことしたいな」「これは楽しそうだな」と思うことが「本当の自分」の声です。
瞑想というのは、自分の中にある不安、恐怖、怒りから解放されるということです。
私たちは本来の自分ではなく、人に期待される自分を演じ続けることで、その期待に応えられたなかったらどうなるのか、自分は見捨てられるのではないか。
そういう不安や恐怖、そしてどうしていいかわからない、怒りから発想してしまいがちです。それが病気や不幸を生み出しています。
そうではなくて、自分の内なる喜び、自分はどんなことに喜びを感じるのか、それを素直に追求していくことで、人に貢献する道がすべての人に用意されているのです。
神は微生物のひとつに至るまで無意味な存在は一切創造されませんでした。
あらゆる生き物が自分に素直に生きさえすれば、全体の調和の中で見事なバランスを保つよう宇宙は創造されているのです。
生活習慣病になる植物や野生動物はいないのです。
私たちも「本当の自分」に素直に生きれば、健康で幸せにすべてと調和して生きていけるように本来創造されています。
その「本当の自分」を見つけるために、「心の雑音を沈める」ことを大いにおすすめします。私も大好きです。
瞑想を心の中に、「不安、恐怖、怒り」などのマイナスの感情のない状態と定義したいと思います。
何もない穏やかさが健康なのですよ。
身体もあそこが痛い、ここが重いというが不健康ですよね。
どこか「気になることがある」というのが不健康なのです。
心もそうです。
「不安、恐怖、怒り」など、気になることがあるのが不健康なのです。
気になることがないというのが心の健康です。どうすればいいのか。
イエスは「神の王国に入るには幼子のようにならなければならない」と言われました。
幼子は何も気に病んでいないですよね。無邪気です。
あれが心の健康です(笑)神の王国です。
自分自身であるということにただ喜びを感じている状態です。
何か起こっても「そうかね」と言ってやり過ごせばいいんですよ。
それは自分が相手に隷属することではありません。
「不安、恐怖、怒り」に屈して何かの価値観に自分をあわせることでもありません。
「そうかね」と言って超然として気にしないことです。
そして自分は自分の喜びを大切にして「本当の自分」を生き続けることです。
大病せず天寿をまっとうして老衰して肉体を離れる人はみんなそういう人ばかりです。
そして、「本当の自分」を大切にする人、自分の喜びを大切にする人は、自分以外のすべての人が「本当の自分」を大切にし、自分の喜びに従うことを尊重します。
いい意味で誰にも干渉しないのです。
あなたはあなたの人生を生きなさいとしか言わないものです。なぜなら自分がそうしているからです。
自分が自分自身であることを大切にしているから、自分の周囲の人が自分自身であることを大切にできるのです。
自分自身を大切にしていない人は、必ず周囲の人に干渉しています。
あなたのここが間違ってる、そこが間違っている、ここがダメなんだ。
そういうことを言う人はみんな真の意味で自分自身であることができていない人です。
自分自身であることを大切にする人は、周囲の人もその人自身であることを大切にするからです。
そして、自分の喜びに従うことによって人は周囲に最大限の貢献をします。
義務ではなく、喜びですね。自分の内なる喜びに従っているだけです。
楽しんでいます。
そして、そういう人が一番いい仕事をするのです。
>そして神様に家族の浄化が出来るように頼みました。
そしたら、出来るようになりました。まだまだムラがありますが、主人の浄化は出来るようです。
素晴らしいです!
まだ「力の使い手」になってひと月の初心者なのに、ご主人を浄化できている時とできていないときの違いを自分ではっきりと認識しておられます。
そして、どうしたら浄化できるようになるのか自分の方法を見つけれました。
>心の波風をたたせないってかなり冷静を保たねばならないようです。でも!出来ない事はない!!私には、瞑想が必要とかなり思いました!!
私は普段はほとんど心に波風をたたせないで生活しているので、人にこういうことをアドバイスすることを忘れがちですが、Hさまがこうしてその重要性を改めて気づかせてくれました。
ぜひご自分の「瞑想」を見つけてください。
「瞑想」とは、心の中に「不安、恐怖、怒り」がない状態、それらに動機づけられて行動していないということです。
自分の心の穏やかさ、喜びを自分の人生の動機とすることです。
あまりにも人工的で忙しすぎる日々はそれを難しくします。
「忙しい」とはよく書いたものです!
「忙しい」とは「心」を「亡くした」状態です。
「本当の自分」の心を亡くした状態が「忙しい」です。
できたら、海辺や公園など、緑や空や海が感じられる自然なところで、心穏やかにゆっくり散歩したするのがお勧めです。
そういうところに出かけられないときは、ゆったりしたところで素敵な写真集でもみながら、お気に入りのお茶を飲むのでもいいですよ。
私は大好きです。
長い浜を歩いたりするのも私にとっては瞑想です。
スペインを巡礼したり、バリ島を自転車でツーリングしたりするのも私にとっては瞑想ですね。
自分を見つめて、くたくたになるまで歩いたり、自転車こぐのも瞑想です。
山を登ったりするのも瞑想でしょうね。温泉でのんびりするのも瞑想です(笑)
ぜひ「忙しい」心を亡くした日常から、スローダウンして、自分の心が「不安、恐怖、怒り」でみたされそれらを動機にして行動していないか見つめてください。
「不安、恐怖、怒り」は後天的なものですよ。すべてそれはあとから社会や親、学校から学習したものです。
幼子はそういうものを持たずに生まれますからね。
ぜひ誰もが本来持つ、心の中の穏やかなスペース、すなわち「本当の自分」を大切にしてください。
>どんな考えも、全て1人1人違うので、外れはないわけですから、臨機応変に考えてその人らしい人生を見つけていければいいという事ですよね。
その通りです!
すべてが神によって創造された世界において「間違い」はないし、「外れ」もありません。
ただ、その人が思考し、言葉にし、行動した選んだ現実を創造しているだけです。
ですからすべてはいい経験です。素晴らしい経験です。ただ誰の心の中にも「より本当の自分」というものがあります。
それが宇宙の進化の原動力ですからね。
「本当の自分」に素直に生きれば、誰もが健康で幸せになれるように本来創造さているのです。
神の創造は完璧です。
ただ私たち人間は自由意志によって、本来の自分ではない現実も創造できる自由が与えられているだけです。しかしそれを選んだといても「間違い」ではないし「外れ」でもありません。
だいたい神が人に自由意志をお与えになったのに、その結果「間違い」や「外れ」を選んだからと言って人を罰するなど、神をなんちゅうば愚かなサディスティックな存在と考えているのでしょう。
もし人間が「間違い」や「外れ」を犯すことが罰に値するなら、初めからそういう可能性を排除して人間を創造すればいいだけの話です。
全知全能の神をどこまで無能あつかいすれば気が済むのでしょう(笑)
神に似せて創造された人間は、本来完璧に創造されています。
その人間に与えられた自由意志によって選ばれたあらゆる行動に「間違い」も「外れ」もありません。
すべては神の一部です。
ただ永遠の魂の旅路においてひとつのエピソードがあったというだけです。
私たちは「本当の自分」でないことさえ選択でき、自由に創造できる素晴らしい存在です。
しかし、そのような創造を行っても、この宇宙は完璧なバランスを保ち、魂は永遠であり、生命は無限に進化していきます。
神は真に偉大な宇宙を創造されたものです!