お迎え現象                                       川本富士夫


 

 

超高齢者の多少のぼけや「天寿がん」は、生物の必然、老耄の身体表現とも考えられます。

 

認知症、あるいは老耄は、

人生の最後に自然が用意してくれた、

痛みも恐怖もなく、安心して老い、安心して病み、安心の中で

亡くなる仕組みではないでしょうか。

 

認知症になると自分の体験が浄化され、

生と死のグレーゾーンみたいなところに行って、

八十歳なのにお母さんといっしょにいるわけです。

 

死のほうがこっちに来る。

そうすると安心なんですよ。

 

迎えに来てほしくない人は現われないそうですから、

これを逆にとれば、迎えに来てほしい人がいなければお迎え現象は起こらないことになります。

 

 


もともとは在宅医療の専門医、岡部健・東北大医学部臨床教授(一九五〇―二〇一二)と大学研究者らが二〇一一年、宮城県と福島県の診療所による訪問診療などで、家族をみとった遺族一一九一人に、「患者が、他人には見えない人の存在や風景について語った、あるいは見えている、聞こえている、感じているようだったか」とアンケートしたものです。

 

回答した家族五百四十一人のうち二百二十六人(四十二%)が、自宅でみとられた患者が亡くなる前、すでにいない親の姿を見たと語るなど、いわゆる「お迎え現象」を経験し、それが穏やかなみとりにつながっていると、岡部健教授はコメントしています。

 

この調査結果は、二〇一二年六月二十一日の読売新聞で紹介されました。

それによると、

▼患者が見聞きしたと語った内容は、親など「すでに死去していた人物」(五一%)が最も多く、その場にいないはずの人や仏、光などの答えもあった。

▼「お迎え」を体験した後、患者は死に対する不安が和らぐように見える場合が多く、本人にとって「良かった」との肯定的評価が四七%と、否定的評価一九%を上回った。

▼調査は、文部科学省の研究助成金を得て実施。

「お迎え」体験は経験的にはよく語られるが、学術的な報告はきわめて珍しい。

 

▼研究メンバーである岡部健教授は「『お迎え』体験を語り合える家族は、穏やかなみとりができる。

たとえ幻覚や妄想であっても、本人と家族が死を受け入れる一つの現象として評価するべきだ」と話している。(新聞記事を要約)

 

お迎え現象については二〇一二年八月二十九日のNHKクローズアップ現代でも「天国からの〝お迎え〟穏やかな看取りとは」のタイトルで放映されています。

 

この現象は死の直前だけでなく、何日も前に現われることもあり、意識は混濁していなくても当人は死期を知って、無言で準備を始めることもあるようです。

どうやら私の曾祖母マチがそうでした。

山を越えて親戚にあいさつしに行き、戻った時には意識が朦朧(もうろう)として、翌朝ふとんの上で亡くなっていました。

私が中学一年生のときでした。

 

親しい死生学者はお迎え現象について、「よくありますよ。本人や家族が黙っていることもあるから、けっこう多いかもしれません」と話し、内容が具体的であるほど死期が近いとも語りました。

 

訪問看護ステーションを運営している知人も、お迎え現象の内容で臨終までの時間が測れると言いました。

そして、迎えに来てほしくない人が現われたことはなく、夫が妻を迎えに来たこともほとんどないと笑いました。

妻は、夫に迎えに来てほしくないのです。

 

昨年の正月に山口県の実家で、弟の女房とお迎え現象について話していたら、横から弟が「あの世があるわけがない」と否定していましたが、後日その弟から電話がありました。

インターネットで知り合った人の母親が亡くなり、お迎え現象のような内容をメールで弟に送ってきたというのです。

「東京の薬剤師らしいから信じてもよさそうだ」。

弟の声は弾んでいました。

 

メールの主が東京の薬剤師だろうが「頭凶のヤクザ医師」であろうが、どっちでもよく、メールを転送してもらって読んでみました。

   …

「いっしょに仕事をしようと手招きしている」と母が言うので、どこで手招きしているのかと聞くと窓の外を指差した。

そこにはだれもいなかった。

その後食事の拒否が始まり、脱水症状になったので入院させた。

食べてほしいと泣いて頼んだが、「私は食べたくありません」と今までにない口調ではっきり答えた。

(中略)亡くなったあと顔が見る見る変わり、若いころの顔立ちに戻ってほほ笑んでいた。

   …

カンボジアにも似たような話はあるかと思って妻に聞いたら、「ありますよ」との返事。

近所の会話を聞いたそうです。

総じて「亡くなる人は前日か当日に普段とは違ったことをする」。

化粧したりあいさつして回ったり、「馬車が迎えに来た」と言った人もいるそうです。

 

教授職にある北九州の病院長が、立場上だれにも言えないと前置きして、彼の母のお迎え現象を私に打ち明けたことがあります。

死の直前にだれかを待ちわび、「来た!」と小声で叫んで、よろこびの表情で旅立ったそうです。

広島の友人からも、来週よそに行きますからと土曜日に言って月曜日に亡くなった人や、「この体、もういらんわ」と言った翌日に亡くなった人もいたと聞きました。

 

大いなる意志の最大のプレゼントともいえるこの現象について、否定的な医師もいます。

福岡で開催された市民公開講座で、「せん妄という脳の病気だから治療が必要」と話した国立病院の医者がいたのにはびっくりしました。

もしも彼の患者にお迎え現象が起こり、安らかに旅立った姿を見て口々に祝福している家族がいたとして、「最期は脳も病気になりました」とでも言うつもりでしょうか。

 

私の知っている、みとりが中心の訪問診療医はこう語りました。

「あるようですね。でも患者さんや家族は、私には本当のことを言わないんですよ」。

そこでいつも同行する看護婦さんにこっそり聞いてみたら、最初は首を横に振っていましたが、本当のことを知りたいと言ったところ、ちょっと緊張した顔で、「実はあるんです」と答えました。

 

私は研究者でも専門家でもありませんが、ほとんどの人にお迎え現象は起こると思います。

なぜならその仕組みが体にあるからです。

しかも命が閉じる場面です。

半数にだけ起こって、あとの半数には起こらないわけがありません。

 

わが身にそれが起こることを前提として考えてみると、興味を引くのは「だれが迎えに来るか」です。

これに関して、仏教に詳しい大分県在住の病院長が、「お迎え現象は体に起こることで、五体投地を行なうくらい信仰心があつければブッダが迎えに来るでしょう」と言ったことがあります。

私は体に起こるお迎え現象で充分ですが、だれが迎えに来るかはわかりようがありません。

なぜなら、ある高齢の認知症者は、亡くなった配偶者のことは忘れ、子供のころ憧れていた異性のいとこの話ばかりする、というようなことがあるからです。

でもおそらく、生涯を秤(はかり)にかけて納得のいく相手が迎えに来るでしょう。

そしてそれが人間である必要もないのです。

 

ただし、迎えに来てほしくない人は現われないそうですから、これを逆にとれば、迎えに来てほしい人がいなければお迎え現象は起こらないことになります。

仕組みはあっても材料がないわけです。

二八の法則を当てはめれば、二割の人はそうかもしれません。

 

 








          たきがみ博士の想い

 

誰でも、自分の中に伝統がある。自分が経験したすべての過去の累積、それが”いま”のわたし。

過去とは思いだすこと、現在(いま)は過去の必然、そして、未来は想い、選択すること。

いまは、変えられない。

しかし、人には明日があり、未来がある。明日は、こうありたいと想いを持つことができる。

 

すてきな明日に向かって、”これからへの想い”を具体化するJourney、しっかり楽しみたいと思います。

そして、”いま、ここ”を丁寧に活きる。

みずからの人生の軌跡を、すてきな笑顔でみつめるために。

 

旬(ときめき)亭 亭主 たきがみ博士
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