私たちの意識は殆ど、今ここにはいない。
過去に行ったり、未来に行ったり定まることがない。
しかしよくよく考えてみる。
過去は本当にあったと立証できるか、未来は本当にあると言えるか
それらは脳の中で作られた物語に過ぎないこと気付き続ける必要があるだろう。
realityは今ここしかない。
今ここ…
それは目に映っている今ここではない、耳に聞こえている今ここではない、触れた感触を感じている今ここではない。
今こことは究極の刹那。脳の認識速度を超えた刹那。
瞬間。
そして意識の焦点をその一点に合わせ続けることが認識訓練、認識鍛錬でしょう。
おそらく、日本のサムライが捉えた境地。
命がけの境地。
しかし剣のない現代において命がけはなかなか難しい。
そのために、今ここを「概念」として知ることは認識鍛錬の大きな助けになるだろうと思います。
なぜなら知らずに捉えることは…
もしかすると感覚を刹那と履き違える可能性が高いから。
今ここは感覚では到達不可能な領域。
感覚が働く前。
感覚が働かない一点。
私は個人的に「捉える」という言葉がしっくりきていますが。
そして、今ここの概念を知るのは観術という認識技術はとても優れていると思います。
しかし知るということと身に付けるということには雲泥の差があります。
人類が長い長い夢から醒めるためには「今ここ」、これを捉え続けること。
そして「今ここ」の外はすべて夢幻であることに気付き続けることなのでしょう。