舌の機能は神秘的です
舌はその時に必要とする塩分量だけをおいしいという味覚に変換する器官です
舌は生命維持・生理危険識別センサーです
水の飲み過ぎが起こり得ないのと同じに塩のとり過ぎは起こり得ません。
生命に必須な空気、水、塩など陽性なものは体内で作れない、代用品を作ることも出きません。
塩は体の中で澱粉質が糖分に変化するようには変換も合成も出来ない
無機質のノソカロリー生命維持物質です。
舌の機能は神秘的です。
舌はその時に必要とする塩分量だけをおいしいという味覚に変換する器官です。
舌は生命維持・生理危険識別センサーです。
神様は人間が体調・環境に応じて塩を適量だけ食べるように、舌に機能を持たせてくださっています。
塩に対する味覚と生理的必要量はコインの裏表の関係です。
生命は必要以上には塩を求めないから塩を摂り過ぎようにも摂り過ぎ得ないように舌(味覚)が拒絶します。
味覚に従って塩を食べていれば塩が原因の病気はあり得ないものです。
塩不足が慢性化すると塩不足の自覚症状がはっきりしません。
「体がだるい、しんどい、脳がすっきりしない」など原因が分かりにくく、喉が渇くようにストレートには出て来にくいものですが、
本当に満たされなげれば生命維持本能が理性を奪い、泥棒してでも、人殺ししてでも食べようとするほどのものです。
スポーツで汗を流しお腹が空いた後などは、塩のよく効いたものがおいしく感じてうっかり沢山食べてしまうことがありますが、
もしそれが体の生理に過ぎた量であれば自動的に復元作用が起こり体温が上がって汗をかいて、余分な塩分を出そうと喉が渇いて水が
欲しくなるように出来ています。
塩分は体内を常に環って出て行くのが正しい生理です。
そのときの生理的な必要量以上は体内にキープしないようになっています。
梅干しで塩をしっかり使ったときの土用干しで入り過ぎた塩分が白く出てくるのと同じです。
体や頭を使っていないときは、同じ塩加減のものを食べても塩っぱいと感じます。
汗をかいたり喉が渇いたら体が水を欲っし、飲めばおいしいのは誰でも同じです。
体が欲しがらないときはどんなおいしい水でも飲む気がしません、
足りないときは泥水でもすすります。
牛馬を池の側までは連れて行けても、水を欲っしないときは飲ませることは出来ません。料理がおいしいようにきちっと塩を使うのが
一番健康に良いのです。
塩は体内で保存できないから不足すると骨を溶かしてまで体液中の塩分濃度を保って生命を維持しようとします。
骨粗霧症の原因です。
余分な脂肪は体内にどんどん溜まって美容上も健康上も問題になりますが、余分に入った塩は水に便乗して汗や便になって体外へ出て行って残ってくれません、垂れ流しです。
苦いもの、塩辛いものは体を陽性にして引き締めバランスを取ります。
「良薬口に苦し」で元気にします、伝染病、食中毒にも強いのです。
砂糖は摂らなくても穀物など炭水化物・澱粉質を食べていれば体内でブドウ糖に変化し何の間題もありません。
虫歯の心配もなく、至って健康になるでしょう。
糖分の摂取はブレーキが効かず、警報機が鳴らず、食べ過ぎてもある程度までは脂肪になってしまうだげですぐにはとがめが出ません。
突然ガクンとやられますから頭で言い聞かせてコントロ-ルしなげればならないものです。
甘いもの、酸っぱいものは体を陰性にして緩め伸ばします、病気のよろずやになります。
くたばったり死んだりしたら「あいつはとうとう伸びてしまった」と言われます。
勉強やスポーツのライバルには健康を気遣ってあげて、減塩を勧めてあげましょう。
ファイト、スタミナ、やる気がなくなり、優柔不断、ミス多発、しかも自分では気がつかない。
小学校の卒業式で校庭どころか屋内で椅子に腰掛けている子供が不調を訴えたり倒れたりするのを目の当たりにしました。
日本の将来は絶望的でさえあります。
塩不足の子供は、「運動場で遊びなさい」と言っても遊ぼうとしません。
体が弱っているときは、塩分も取れない
健康を左右する「塩梅」だ~
体が弱ったり・病気になったりすると食欲がなくなり当然、塩分も取れなくなります。
良質の塩でとる塩分補給が、いかに大切かが分かります。
健康の舌=ベロメーターとして、その時その時に感じる【しおっぱさ・塩加減】がいい塩梅なのです。
良質の塩であれば、塩の取りすぎと言うことはありませんから、体が要求する塩加減=いい塩梅で、食事をしてください。
いつまでも、いつでも、自分にあった【塩加減・いい塩梅】で食事をすることが健康の秘訣です
病気時ほど、きっちりと良質の塩分を補給しなければ、回復が遅れます
舌は、健康のベロメーター
「ちょうどよい塩梅だ」などと使われる塩梅と言う言葉は、もともと
塩と梅酢で料理の味を整えるところからきており、ほどよい程度を表わします。
減塩が叫ばれる昨今ではあります。
そこで、人の大きな欲求の一つである食欲を満たす料理に的を絞って、いかに上手に塩を使って健康になるのかを考えてみましょう。
実際には甘からいとか、甘酸っぱいなど微妙な味わいも感じ取ることができるものですが、あくまでも基本の5つだと考えてください。
①甘い ②酸っぱい ③塩からい ④辛い ⑤苦いその他、渋味やうま味一昆布のグルタミン酸やかつお節のイノシン酸一を加えて、7つの味に分類することもできるようですが、塩梅の言葉が表わすように、なんと一言っても、「塩の存在なし」では料理の味付けは完成しません。
塩は、味付けの基本だと言ってよいでしょう。
例えば、おしるこや甘酒などに隠し味として塩をほんの少量加えるだけで、味に深みをもたせることができます。
また、アサリの清まし汁なども、アサリだけのうまみではとても飲めた代物ではありませんが、塩をひとつまみ足すだけでびっくりするほどおいしくなります。
塩と食文化
調味料としての塩を考えたとき、あるひとつのことが指摘できるように思う。
それは、塩が、古今東西を問わず普遍的に使われてきたほとんど唯一の調味料だということである。
人間の五つの味覚のうち、「甘味」を支えた砂糖はサトウキビやテンサイを主原料に作られるものであるが、ほかにも、サトウカエデで作られるメープル・シロップ、蜂蜜、オオムギの麦芽などから作られる水あめなどさまざまなものが使われてきた。
つまり甘味を支える食材はいろいろあった。
このなかで、古くから広く使われてきたのは蜂蜜かもしれない。なお、いわゆる西汗料理では、砂糖を調味料として加えることはない。
まったく加えないかどうかは知らないが、私の知るかぎり、砂糖を加えるレシピはない。
日本食でも、砂糖を調味料として使うようになつたのはごく最近のことである。
「酸味」をもたらす食材も多様である。
「酒がすっぱくなる」という語があるように、酢は醸造の産物でもある。
穀物のデンプンを発酵させて作った穀物酢、ワインから作られるワインビネガーのように果実を原料とする酢など、その種類も多様で、しかもその産地には地域性がある。
果実、とくに未熟な果実は酸味を含み、広範に使われてきた。
その産地はいまも強い地域性をもち、その上地固有の味を醸し出している。
ヨーグルトなどの発酵乳も酸味をもつ。酸味のもととなる食品は多様で、ほかにも熱帯地方にみられるレモングラス(タイ料理のひとつである「トムヤム・スープ」の風味に欠かせない)、梅干や梅干を作る過程で出る梅酢、変わったところではアリ(蟻)の蟻酸を酸味料に使う地域もある。
要するに酸味料にもまた、多様性と強い地域性がある。
「苦味」も、味覚を形成する重要な要素だが、これまた多様な素材が使われてきた。なじみ深いところでは、ビールのホップ、サンマのはらわた、チョコレート、コーヒーや茶などの嗜好品、ニガウリ(苦瓜)の果実などをあげることができる。
塩の仲間であり豆腐の凝固剤に使われるにがりも単独では強い苦味を感じさせる。
これらもまた、強い地域固有性を有する。
「うまみ」にもまた地域性がある。
日本の出し汁に似た調味料は、少なくともいわゆる西洋料理には使われない。
うまみには発酵で得られるものが多いため、その味に強い地域固有性があるのだ。
香辛科も、世界にはさまざまな種類が知られる。
日本科理では、山椒、唐辛子などが使われるが、唐辛子は伝統的な日本食のスパイスと言い切れないところがある。
アブラナ科の一部の植物には独特の辛味があり、日本で使われるわさびのほか、芥子がこれに含まれる。
大根の辛みも、基本的にはこれに属する。
胡椴、丁子(クローブ)、ナツメグ(こクズク)などのスパイスや、コリアンダー、タイムなどのハーブ類も、いわゆる日本料理には加えない。
いっぼうこれらは少なくとも大航海時代以降の西洋料理には欠かせないものである。
このように、五つの味覚のうち、
塩味を除くほかの味覚は、いまなお強い地域固有性をもち、その土地十地により、違った味をたのしむことができる。
そのなかで、塩味だけが、古今束西を問わずほぼ食塩によってきた。
この点が、調味料としての塩をほかと際だたせている点ではないかと思う。