生きるとは、いまの瞬間、なにをやっているのかということなんです。
いまの瞬間、この〈からだ〉がなにかやっている。それが生きる、ということなんです。
人生とは、瞬間の一つひとつで成り立っているんです。・・・ただ座っている。
歩いている。
考え事をしている。
料理している。
歯を磨いている。
その瞬間にやっていることが、まさに生きるということなんです。
それ以外、なにもないのです。・・・
その瞬間瞬間の自分の行為をみるのです。
一つひとつに集中していくと、次にやるべきことがわかってきます。・・・
それこそが、仏教がすすめる智慧の世界なのです。
過去はない、将来はない。いまのこの瞬間に生きるのみ。
それが仏教のすすめる完璧な生き方なんです。
「生きる」ということは、自分の〈からだ〉をとおして学ぶんです。・・・
プッタはこう答えています。
「この自分の〈からだ〉の中にすべてがある。自分の〈からだ〉の外にあるのではない。
苦の世界も、苦の原因も、苦の消滅に至る道も、この〈からだ〉の中にある」
自分の〈からだ〉の中に、すべてがあるのです。
だから、自分の〈からだ〉を通して「生きる」ということを学ぶんです。それが、仏教を学ぶということなんです。
仏教を自分の〈からだ〉において学んでいる人は、「すべてが無常だ」ということがわかるようになります。「物事は、人生は、先のことはわからない」ということが、心の底からわかって来ます。
人生には、叶うものも、叶わないものもある。
どんなことがあっても・・・「ああなるほど、そういうことか。
まぁ、そんなものだ」それだけで終わってしまうんです。
あれやこれと原因さがしをしたり、後悔して悲観にくれたり、悩み苦しみに陥ることがありません。
すぐに次の手が打てるんです。
だから、生き方を学んで行きましょう。
それこそが、正真正銘の仏教の学びなんです。
自分の〈からだ〉が、何でも教えてくれるんです。
自分の生き方から、いくらでも学べるんです。生き方を知っている人は、すべてを知っているのです。
私は、がんになって、初めて「今」を認識しました。
「今」はわかっていたけれど、意識はいつでも「未来」へ向かい、想いはいつも「過去」にとらわれていました。
来年のことを思い煩うのではなく、来月のことで心配をするのではなく、明日のことを不安がるのではなく、1時間後のことでイライラするのではなく、今この瞬間を、今だから必要なこと(休息も眠りも含めて)をするだけが、生きることだと思うと、本当に気楽になります。
もちろん、生きているから、明日の予定も、来月の予定も、来年の計画もないことはないけれど、それが変わっても構わないと感じて、予定にとらわれなくなると、精神的に楽になれます。
がんになったからこそ、私たちは自分の体と向き合うことがしやすくなったように思います。〈からだ〉が教えてくれる生きる道に耳を傾けてみませんか。
今、嘆き悲しむこと、辛いと感じることが、違って見えてくるかもしれません。